FEATURE
大川隆哉
ISSUE FOUR FEATURE

選手10年、裏方24年。
球団を知り尽くす大川さん

チームを様々な角度から支える人を紹介する“Behind the Scenes”
今回は運営オペレーションを担当する大川隆哉さんをピックアップ。
選手からの転身、チームを支える立場で感じたこととは。

「忘れもしない、10年目のシーズンを終えた10月9日…」
大川さんが話し出した1995年のこと。
千葉県の銚子商業高校から1985年ドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。
俊足巧打のスイッチヒッターとして10年間の選手生活を終えたシーズン終了後、事務所に呼ばれた。
「トレードかなと思いながら行った事務所で戦力外通告。
その場で『ファームのマネージャーとしてやってもらいたい』と。
他にも色々言われたけど、もうショックで頭が真っ白になってしまって覚えてないですね」

まだ28歳。
まだ野球がやりたかった。
まだ野球ができると思った。
「他の球団に、という選択肢も考えながら
『明日練習させてください』って球団に言ったんです」

翌日。
不思議と身体が動かなくなっていた。
「やろうと思ってても、気持ちが切れちゃったんだろうね。
練習を切り上げてそのまま実家に帰って、3日間考えて、
ファームマネージャーの仕事を受けることにしたんです」

その日からファームマネージャー、一軍マネージャー、監督付き、
そして今はチームから離れた運営オペレーション。
いわゆる“裏方業”を歴任し、今年で24年目。
「最初は大変でしたよ。選手のときには見てない部分に目を向けなくてはならない仕事ばかりなので。
でも今ではいろいろ面白さを感じられるようになった。
スタッフのユニフォームでも見た目が変わればワクワク感を与えられるんだな、とか。
やってみて初めて分かることなので」

そんな大川さんが思うこととは。
「現役時代にコーチやOBの方に『今のうちにやっとけよ』ってたくさん言われたんですよ。
でも現役のときはピンとこなくて。やっぱり後になって分かるんですよ」
野球ができる時間は短いーー。
だからこそ、今、できるときにやっておかなきゃ。
マネージャー時代は、自身の経験からそんなことを選手に伝え続けたという。

現在はチーム周りを離れ、運営側に携わり8年目。
「チーム周りは、勝ち負けの世界。
そこでしか味わえない人とのつながり。
みんなで支えあったり、そういうのが好きなんですよね。
その中でずっと育ってきたので。
また機会があったらそんな中で仕事してみたいですね」

そう話しながら、仕事道具であるトランシーバー、
ひっきりなしに鳴る携帯電話、
そして「晴天祈願」のお守りステッカーが貼られたバインダーを持って、
再び職場へと戻って行った。

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