コラム

光を浴びて、大きく育て
――阪口皓亮、成長の軌跡

2021/07/05

 入団4年目の今年、故障による途中離脱がありながら、すでに7試合の先発マウンドを託された。プロ初勝利を含む2つの勝ち星も手にした。

 開幕からの3カ月強を、阪口皓亮は淡々と振り返る。

「いままで味わったことのない疲労感と、経験と。でも、いい疲労感だし、いい経験ができている。まだ前半戦ですけど、充実しているかなと思います」

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「真っ暗」だった1年間。

 ここまでの高卒右腕の歩みを順調と評することはできるだろう。だが実際には、深く沈んだ時期があった。

 2年目の2019年5月、一軍デビュー戦で5回無失点の好投を見せた。「通用するかもしれない」。早くも芽生えかけた自信は、はかなく消える。

 2戦目、3戦目の登板で、いずれも2回もたずに降板。長いトンネルの入り口だった。

「そこから、3年目に自分の投球スタイルが見つかるまでの1年間ぐらいは真っ暗でした」

 力む。制球が乱れる。好投する試合はあっても長続きしない。課題は募るばかりで、「投げれば投げるほど沼にはまってしまった」。

 一軍に呼ばれない時間が長くなるにつれ、心もネガティブに傾いた。

「もう必要なくなったのかな……」

「どうしたら抑えられるんだろう?」

「どこがいけないんだろう?」

「いま何をするべきなのか」

 即答できない問いを前にして、トライしては修正しながら小さな一歩を積み重ねるしかなかった。シーズンが終わるころ、技術的な面においては改善の兆しを感じられるようになっていた。

 そのオフ、阪口はオーストラリアに派遣される。異国の地での野球経験は、傷ついたメンタルを癒す時間になった。

 所属したキャンベラ・キャバルリーズのチームメイトたちがかけてくれた言葉が、良薬として機能した。

「子どもは楽しんで野球をやっているじゃないか。大人だって同じはず。結果を求めて、勝手に苦しんでるだけさ」

 阪口は言う。

「ほんとにそうだなと思って。それ以来、試合中でも笑顔になることが増えましたし、心から野球を楽しめるようになり始めました」

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「これが抑えるっていう感覚なのか」

 2020年、なおファームでの日々は続いた。そして、転機となる一戦を迎える。

 8月11日、イースタン・リーグのスワローズ戦。先発した阪口は7回を無失点に抑えた。

「いまのところ、ぼくのいちばんのターニングポイントですね。自分の投球スタイルの土台ができたかなと思います」

 背中を押したのは、ファーム投手コーチの大家友和だった。スワローズ戦に臨むにあたり、阪口にいくつかのことを試させていた。

 一つは、登板に向けての調整の仕方だ。それまでは、登板を控えていてもウォーミングアップなどはチーム全体の動きに合わせていたが、このときから調整の時間を自由に使えるようにした。

 また、投球においては「8割の力」を強く意識づけた。阪口が言う。

「追い込むまでは、8割の力でどんどんゾーンに投げ込んで打たせて取る。そういう投球を『打たれてもいいからやってみろ』と言っていただいて。『打たれてもいいんならやってみよう』という気持ちになれました。それがすごくはまったというか。『これが抑えるっていう感覚なのか』ということを感じられる試合になりました」

 アクセルを踏みっぱなしの一本調子ではなく、状況に応じて強弱をつける投球。前年から取り組み続けてきた課題の答えが、この試合で見つかった気がした。

 その後、1年2カ月ぶりに一軍昇格を果たした。長いトンネルをようやく抜けたのだ。

 3試合に先発して勝ち星に縁はなかったが、活躍の場がファームから一軍に移ったことを強く印象づける形でシーズンを終えた。

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「1勝」で何が変わったか。

 4年目の今シーズンを迎えるにあたり、阪口自身、期待感は高まっていた。

「井納(翔一)さんがFAで移籍した。枠が一つ空くのなら、全力で、死に物狂いで取りにいこう」

 そんな思いでオフを過ごし、キャンプに入った。「自分の投球スタイルがものになってきた。今年、確実に初勝利はできる」。思い描いたとおり、開幕ローテーション争いに最後まで加わった。

 しかし、最初の6試合に先発するメンバーには選ばれなかった。肩を落としかけた阪口に、三浦大輔監督はこう声をかけた。

「対戦相手との相性や、先を見据えての判断だから」

開幕2カードの先発6人で固定したわけではない。この先、必ず出番は来る。そう示唆する三浦監督の言葉に救われた。

 事実、2週目にはさっそく先発の機会が訪れた。チームは開幕から8戦未勝利。当時の心境を思い返す。

「最初はまったく緊張しませんでした。たしかにぼくは、まだ勝っていない。だけど『だからどうした?』っていうぐらいの感覚でした。でも、いざ登板日が近づいてくると、やっぱり初勝利がほしいし、このチームの勝利のために腕を振りたいって気持ちも出てきて。どんどん緊張し始めました」

 4月4日、横浜スタジアムのマウンドで、阪口は粘りの投球を見せる。5回無失点。ブルペン陣がカープの追撃を振り切り、チームの今シーズン初勝利と阪口のプロ初勝利は同時に達成された。

「トバさん(戸柱恭孝)が、ぼくが投げやすいリード、相手を抑えられるリードをしてくれましたし、野手の皆さんもファインプレーをしてくれて、安心して打たせて取る投球ができました。ぼくなんかの力より、野手の皆さんのおかげです」

 そう謙遜するものの、手に入れた勝利の意味は大きかった。「1勝」で何が変わったか。21歳は即答した。

「自信はめちゃめちゃつきました。何よりも、それがいちばん」

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「5回100球じゃ、先発ピッチャーとは言えない」

 ローテーションの一角をつかみ取った阪口だったが、登板5試合目のスワローズ戦でアクシデントに見舞われる。

 右ひじに違和感が生じたのだ。

「1イニングが終わったあたりから気になり始めて、それが強くならないうちに早めに降板することにしました。後続のピッチャーの皆さんには申し訳ないと思いながらも、ここで大きなケガをして、長期間、野球を離れるべきではないと考えました」

 結果的に、その判断は功を奏した。右ひじの炎症は予定を上回るペースで回復。離脱期間を短く抑えることができた。

 調整の日々を過ごすなか、ファーム監督の仁志敏久から、さらなるステップアップのための助言を授けられた。

「5回100球で降板するようじゃ、先発ピッチャーとは言えない。球数のマネジメントをできるようにしよう」

 1イニングあたり、何球に留めるべきか。球数を抑えるためには、どういう組み立てをすればいいのか。実戦復帰後のマウンドで、阪口は常に考えるようになった。

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 一軍再昇格は6月26日。その日のタイガース戦に先発し、自己最長の6イニングを投げた。球数は80球だった。

「球数のマネジメントもできたし、ぼくのスタイルである、打たせて取る投球ができました。祐大さん(バッテリーを組んだ山本祐大)とイニングごとにしっかり話をして次の回に入っていけたのも、うまく投げられた要因だったと思います」

 初勝利のウイニングボールは母に送った。2勝目のウイニングボールは青星寮の自室にある。

「ほしいって言われたら、送ろうかな」

 そう言って、阪口は微笑んだ。

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一軍にいるからこその経験。

 7月3日のジャイアンツ戦では、負け投手になった。4回で85球を費やし、3失点はすべてソロ本塁打によるものだった。

「まず、ボール先行だったこと。毎回、ピンチをつくって不安なピッチングをしてしまったこと。それにテンポというか、間が悪かった。何より、自分の持ち味である、ゾーンで勝負する投球ができませんでした。その結果が、早い回での降板、負けにつながってしまった」

 ベイスターズが神宮球場をホームとして戦った試合。同球場でのプレーは、阪口にとって「人生で初めて」の経験だった。

「あまり高さを感じられないマウンドで、(試合の中で)合わせることができなかった。フォームがバラバラになったところはあったかなと思います」

 ポジティブにいえば、また一つ、一軍にいるからこそ得られる新たな経験を積んだということだ。

「真っ暗」だったころとは違う。阪口は、これからについてはっきりと言った。

「ファームに行くことなく、上で投げ続けることがまず一つ。そして、ひじのケガを再発させないこと、ほかの部分もケガしないこと。健康第一に、自分のできる範囲で全力で、チームのために腕を振っていけたらいいなと思います。(勝利数など)数字については、気にしていないです」

 表舞台でまぶしい光をどれだけ浴びられるか。そこにいられたぶんだけ、若き右腕は大きく育つ。