コラム

不屈の右腕、いざ新天地へ
――国吉佑樹、ラスト・インタビュー

2021/06/14

 突然の知らせだった。

 6月14日、ベイスターズ国吉佑樹とマリーンズ有吉優樹の交換トレードが成立――。

 あとになって思えば、前触れはあったのかもしれない。同11~13日に札幌で行われたファイターズとの3連戦、国吉はチームに帯同していながらカードを通してベンチ外だった。

 その期間中に、本稿のための取材時間は設けられていた。図らずもそれは、少なくとも現時点において、ベイスターズの選手として受ける最後のインタビューになった。

 今後への意気込みを尋ねられると、強い思いを口にした。

「今シーズンはロングリリーフがメインの立場ではあるんですけど、やっぱり勝ちゲームで投げることのほうがリリーフとしてはやりがいもある。もし勝ちパターンのピッチャーが崩れてしまったら、そこにいつでも割って入ってやる、くらいの気持ちでいます」

 眼差しと口調は、いつもと変わらずやさしげだった。

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「相手打線の勢いを止める」はずが。

 キャリアハイの53試合に登板した2019年が、新たなスタートラインと言えるシーズンになった。翌2020年は42試合(120試合制)で投げた。最速161kmのストレートと、小さく動くカットボール。課題だったコントロールにも一定のまとまりが出てきて、一軍のブルペンに欠かせぬ、頼られる右腕に成長した。

「ここ2年間、一軍で多く投げさせてもらった経験を生かして、よりよい1年になれば」

 そんな思いで挑んだ今シーズン、国吉に与えられた役割は、主にビハインドの展開でのロングリリーフだった。

 開幕から2週間後の4月9日、4試合目の登板でつまずいた。3点ビハインドの6回、先頭打者だったタイガースのルーキー、佐藤輝明に横浜スタジアム場外まで飛ぶ本塁打を打たれた試合だ。さらに2四球4安打で、このイニング計6失点。「相手打線の勢いを止める」はずが、正反対の結果になった。

「余裕がなかったのか、投球がワンパターンになってしまって、相手が的を絞りやすくなっていたのかなと思います。いまになればそういう反省もできますけど、本来ならマウンドで気づいて修正しなければいけなかった」

 試合後、三浦大輔監督は単刀直入に告げた。

「抹消するぞ。シーズンはまだ序盤。もう一度、勝負できるボールを自分で見つけて、状態を上げて戻ってきてくれ」

 2019年は一軍にフル帯同。2020年は残すところ6試合となった11月1日に抹消されただけで、ほぼ一軍で完走した。投球内容に起因するファーム降格は、久しくなかったことだった。

「シーズン序盤に一軍にいられなくなるということで、ショックはショックでしたけど……。まだ4月というところは逆に切り替えやすかった。全然まだまだ取り返しがつく、と」

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マウンドに上がるモチベーション。

このとき、国吉のよき相談相手となったのが藤岡好明ファーム投手コーチだった。自主トレの仲間であり、ともに研究熱心なふたり。対話は弾んだ。

「投げにいくときの体重移動の仕方について細かくアドバイスをもらって、気づける部分もあった。そういうメカニック的な話から、頭の中をリセットする方法といったメンタル的なところまで、いろいろな話をさせてもらいました」

 心と体を整えて、一軍に再昇格したのは4月25日。以来、失点する試合もあれど、パフォーマンスはおおむね安定している。

 本人が最も印象的な登板として挙げるのは、5月1日のスワローズ戦だ。3回、2アウト満塁となったところで先発の中川虎大を救援。J.オスナをショートゴロに打ち取って危機を脱した。

 4回には雷雨による38分間の中断があったが、乱されなかった。結局、5回まで2回1/3を投げ、無失点。チームの逆転勝ちを呼び込んだ。

(中断中も)集中力は切らさずに、気持ちはリラックスということができていた。メンタル的なバランスがすごくよかった」

 ここまで登板18試合に対し、投球イニング数は29回2/3に達する。過半の試合で1度、2度とイニングをまたいでいる。

 国吉は苦笑を交えて言った。

「投げる前から『何回まで行ってくれ』とは言われません。抑えてベンチに帰ってから『もう1回、行けるか?』って。そう言われたら『行きます』って言うしかないですよね」

 イニングまたぎの打診は、信頼を取り戻した証と言えるだろう。29歳は言葉を継ぐ。

「ぼくの場合、勝ちゲームで1イニング投げて、ホールドがつくというポジションではないので。マウンドに上がるモチベーションを何か持っておかないといけない。いまは、できるだけたくさんのイニングで投げることがモチベーション。試合数の倍、1試合あたり2イニング以上は投げてから交代しようというつもりでいます」

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投手の配球に注視していた交流戦。

 5月25日から始まった日本生命セ・パ交流戦を、国吉はどこか楽しんでいるようだった。

「普段は対戦しないバッターだし、1カードしかない。自分のボールを出し惜しみすることなく投げるだけなので、ちょっとやりやすいところもある」

 実は、打者よりもむしろ投手のほうに視線を注ぐことが多かった。

「パ・リーグのピッチャーの配球をよく見てますね。セ・リーグだとここで変化球というところで、まっすぐでズドンと勝負にいく。そういう違いが見えるのも交流戦ならでは。おもしろいなあって」

 6月10日のライオンズとの一戦では、3回2アウト満塁の場面でマウンドに向かった。メットライフドームのブルペンは、試合が行われているのと同じフィールド上に設けられている。先発の坂本裕哉の投球の様子や球場の雰囲気を肌で感じながら、「そろそろだろうなってところで思ったとおり」出番が来た。

 塁は埋まっており、坂本は押し出しの四球を与えて降板していた。打者は9番の熊代聖人。状況を整理し、プランは定まる。

「ぼくがフォアボールを出したりして、また上位打線に回るのが嫌だった。変化球よりはストレートで、ストライクをどんどん投げていこう」

 迷わず真ん中付近に150km超の直球を投げ込んだ。熊代のバットは2球目を捉えたが、球の力がまさる。飛球はライン際に駆け込んだ右翼手のグラブに収まった。

 4回に1点を失ったが、ベンチの要請にうなずき、5回まで投げた。しかし、5回以降は両軍ともに無得点。序盤の点差が埋まることはなく、試合は敗戦に終わる。

これが、国吉のベイスターズでの最後の登板になった。

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最大の転機となったもの。

 2010年、育成選手としてプロ生活のスタートを切った。立派な体格。恵まれた素質。期待の声は常に大きかった。2年目には支配下登録。以後、先発、リリーフと役割を変えながら、雲間に見え隠れする星のように明滅を繰り返した。

 やがて、地上に光が届かない時間が長くなる。7年目の2016年、一軍登板は1試合のみ。翌2017年も同4試合に終わった。

 今年で12年目の国吉は、最大の転機について、こう語った。

「オーストラリアに行ったこと、その前に大家(友和)さんがファームの投手コーチとして来てくれて、新しいボール、新しい考え方を教えてくれたこと。ぼく自身、『どういうふうに投げればいいかわからない』というくらいにすごく迷っていた時期でもあったので、そこで道しるべになってくれたことはいい転機になったと思います」

 大家のコーチ就任は2017年の秋。土壇場に追い込まれつつあった国吉にとってみれば、運命的とも言えるタイミングだった。

 伝授されたカットボールは新たな武器となっただけでなく、その「指にかかる感覚」がストレートの質の向上にも寄与した。さらに1年後の2018年オフ、業務提携するオーストラリアン・ベースボールリーグのキャンベラ・キャバルリーに派遣されると、自信を土産に帰ってきた。こうして、潜在能力は顕在化し始めた。

 国吉は言う。

「大家さんは、ぼくみたいな大きい体でストライクゾーンに強い球を投げることはすごく難しい作業、それがある程度できていること自体がすごいことなんだ、と言ってくださいました。小さくまとまってゾーンの四隅に投げ込もうとするより、もっと大きく考えて、ゾーンの中に強くて速い球を投げ込めるという自分の長所を突き詰めていったほうがいいんじゃないかって。『こうしなきゃいけない』という言い方はしない。そこがすごく新しかった」

 呪縛は解け、大きな歩幅でいまの位置まで歩んできた。あのとき、もし大家との出会いがなければ。オーストラリアに行く機会がなかったなら――。

“たられば”の問いには、こう答えた。

「どうでしょうね……。迷ったままユニフォームを脱いでいたかもしれないし、また違う形で新しい発見があって、違うタイプのピッチャーになっていたかもしれない。でも、カットボールを投げることはなかったのかなと思います。もうちょっと、かわすような感じで投げていたかもしれない」

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ユニフォームを脱ぐかもしれない苦節を経て、体躯に似合う投球スタイルをものにした。その右腕に、いま、新たなユニフォームが用意された。

 これまでと異なる環境、新しい出会いが待っている。未知の可能性が待っている。いつだって吸収し、成長する意欲を持ってきた男だ。まだまだ大きく、強くなれるはずだ。

 幕張から横浜へ、まばゆい光を届ける星であれ。