FOR REAL -in progress-

若き右腕に希望を託して。

2019/9/30

優勝を目指して戦う横浜DeNAベイスターズ。その裏側では何が起こっているのか。
“in progress”=“現在進行形”の名の通り、チームの真実の姿をリアルタイムで描く、もう一つの「FOR REAL」。

 開幕の時、春本番の暖気が待ち遠しかった。季節は、夏の暑さをなつかしむ秋まで進んだ。143試合を戦い終えて、結果は出た。

71勝69敗3分のセ・リーグ2位。

 1997年以来22年ぶりの順位を、好意的に見ることはできる。4月に10連敗の屈辱を味わいながら、よくぞここまで戦った。

 だが、終盤のひと伸びに欠け、優勝を逃した事実はより重い。ペナントをまたもつかめなかった悔しさは尽きない。2020年への糧としなければならない。

 ジャイアンツのリーグ優勝が目の前で決まった瞬間から、チームの目標は“プランB”に切り替わった。2位になり、本拠地の横浜スタジアムで初のCSを開催する。目標は至近にあったが、達成直前のところで足踏みした。

 下からの追い上げも気になる位置で、未達に終わる不安は膨らみかけていた。そんな時期の9月24日、ドラゴンズ戦の先発を託されたのが大貫晋一だった。

 7月21日の5勝目を最後に、勝ち星から遠ざかっていた。順位確定が懸かる試合で、リーグ1位のチーム打率を誇る打線が相手だ。ドラフト3位ルーキーが重圧を感じないはずがなかった。

「かなり大事な試合。すごく緊張しました。でも、ここで抑えればもう一度信用を取り戻せる。そういう意味ではチャンスだな、と」

 初回、味方の攻撃がもたらした4点の援護で心がいくらか軽くなった。「前半から全力で」投げ、5回75球、ソロ本塁打による1失点だけに抑えた。自身6勝目でチームの2位を確定させた25歳は、ナゴヤドームでマイクを向けられ、こう声を張った。

「ファームでやってきたことが成果として出たと思います」

自信を打ち砕かれた一戦。

 大貫のプロ1年目は、1つの試合を境にして、がらりと様相を変える。

 オープン戦、そしてシーズン序盤戦と、右腕の船出は順調だった。「いけるんじゃないか」。芽ばえた自信は、勝ちがつくとともに深まった。

 ところが、10試合目の先発となった6月22日のイーグルス戦で、すべては崩れる。初回先頭打者に二塁打を浴びると、打たれ、歩かせ、打たれ、歩かせ、6失点を喫した。大貫は1つのアウトを取ることすらできずにマウンドを降りた。

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「正直、思い出したくないですね……。あの日は雨で試合開始が15分遅れた。その時に気持ちが緩んでしまって、ゲームにうまく入り込むことができなくて。1人目に打たれてから『抑えるぞ』って気持ちにはなったんですけど、止められず。何を投げても打たれる状況で、どうすることもできなかった」

 翌23日に登録を抹消されて以降、大貫はほとんどの時間をファームで過ごすことになる。7月に2勝を挙げたが、「5回を投げるのが精いっぱい」。8月1日のスワローズ戦では3回途中3失点、1カ月の間隔を置いての9月5日のタイガース戦では3回途中4失点と、成績は下降線をたどった。登板のたびに、登録されては抹消を繰り返した。

この期間、イーグルス戦のいわば“後遺症”と戦っていた。

 ファームで大家友和、川村丈夫両投手コーチとともに、自分のピッチングを見つめ直した。課題のありかはデータが指し示していた。大貫は言う。

「初球にストライクを取れていなかったんです。一軍で投げているベイスターズのピッチャーと比べると、(初球ストライクの割合が)10%以上も数値が低かった。そのせいでバッター有利のカウントになることが多くて、そのカウントで投げる球も研究されていたので、どうしても打たれてしまう」

 そうした傾向があることに「言われて気づいた」。それではなぜ、初球からストライクを投げられないのか。原因として思い当たるのは、やはりイーグルス戦だ。

「あの試合があってから、厳しいところに投げないと打たれるんじゃないか。ぼくの球じゃ、なかなか打ち損じてくれないという思いが頭の中に焼きついてしまって。慎重に、慎重に、というピッチングになっていました。事実、フォアボールの数も結構増えましたし、自分らしくはなかったなと思います」

 苦手としている左打者対策にも力を入れた。

「インサイドになかなか投げられていない。(ストレートが)シュートして入っていくことがすごく多かった」

 課題克服のため、新たに取り組んだのがカットボールの習得だ。「横をうまく広げる」意図を持ち、「いかに左打者の内角・右打者の外角に投げきれるか」をテーマに、新球に磨きをかけた。

弱気のいざないを振り払った。

 一方、大貫はツーシームをあまり使わなくなった。打たれた記憶が塗り重ねられていたからだ。

「打たれるんだったら、投げないほうがいい……」

 その消極性を見抜いたのは、投手コーチの木塚敦志だった。9月5日のタイガース戦の後、大貫にシーズン6度目の抹消が伝えられたミーティングの席で、木塚は言った。

「その状態で気持ち悪くないのか?」

 木塚の言う「その状態」とは、得意な球種をまるで生かしきれていない大貫の現状を指していた。指摘は、胸に突き刺さった。

「ハッとしました。その時のぼくは、セールスポイントから目を背けてまで、ウィークポイントをつぶそうとしていた。でも、ぼくはツーシームが武器でプロに入ってこられたんだから、そのツーシームをしっかり投げなきゃいけない。いいところをより伸ばすことに重点を置いて取り組まなきゃいけない、ということを思い出させてくれた言葉でした」

 打たれたからといって、逃げていれば、やがて追い込まれるのは自分だ。初球からストライクを狙うことを避ければ、不利なカウントに追い込まれる。打たれたツーシームを使わない選択をすれば、武器のない凡庸な投手になってしまう。気持ちの弱さは何の助けにもならない。

 打たれたら、課題を克服し、次は打者の上を行かねばプロとしての未来は拓けないのだ。これこそが、大貫が1年目で得た大きな学びだ。

 2位確定を懸けた9月24日のドラゴンズ戦は集大成のマウンドと言えた。

 初回から飛ばし、ツーシームもふんだんに織り交ぜた。1回裏、福田永将にソロ本塁打を浴びた時、心に一抹の不安がよぎる。

「また(連打が)始まるんじゃないか。今日もダメか」

 被打の記憶はやすやすとは消えず、隙あらば悪循環の渦に投手を引き込もうとする。だが、大貫は弱気のいざないを振り払った。

「大事な試合。ぼくがそんな弱気なところを見せてしまったら、絶対にチームにとってはよくない。切り替えよう」

 次打者、D.ビシエドとの対戦はフルカウントまでもつれた。6球目、腕を振って投げたツーシームは146kmの球速をマークし、右の強打者にバットを振ることすら許さなかった。「あのランナーを出さなかったことがキーポイントだった」と、大貫は振り返る。2回以降も多くの打者にストライク先行のカウントをつくり、テンポよくアウトを重ねた。

「ファームでやってきたことが成果として出たと思います」

ヒーローインタビューの一言には、だから実感がこもっていた。

ドラフト1位のプレッシャー。

 青星寮の大貫の部屋は、来訪者が絶えない。人当たりのよさゆえか、年下の選手たちに慕われ、部屋ではしばしば野球談議に花が咲く。その様子を、同期入団の上茶谷大河は“大貫相談室”と表現する。

「ぼくも、打たれた時、抑えた時、いつも大貫さんの部屋に行きます。『中日打線、ヤバくないですか?』みたいな話をしたり。行ったら、たいてい誰かいますね」

 即戦力ルーキーとして期待された上茶谷と大貫は、シーズン当初から励まし合ってきた。それぞれが2ケタ勝てればと理想の未来を思い描いたが、やがて現実の壁にぶち当たる。目標は修正を余儀なくされた。

「ルーキー2人の勝利数で球団の記録を塗り替えられるかも。ここからはもう2人でがんばろう」

 そんな上茶谷の提案に、大貫も乗った。

「たしか、三嶋(一輝)さんと井納(翔一)さんの年がいちばん多いらしくて(2013年・合計11勝)。そこを目標に、追いつき追い越せでがんばろうという話をしましたね。ぼくの中ではモチベーションになっていました」

 個で力不足なら、束になってチームに貢献しよう――2人は、上茶谷が言うところの“上茶貫”となり、合わせて13の勝利をつかみとった。 forreal

 そのうち7勝を挙げた上茶谷にとって、1年目のシーズンはどういうものだったのだろう。問われ、訥々と語る。

「もうちょっと、がんばりたかった。そういう気持ちはありますね。規定投球回に届かなかったですし、防御率もあまりよくない(3.96)。それに、つくれなかった試合が多かった。特に後半戦に入ってからの大事な時期に、早い回で終わってしまうことが何試合か続いたりしたので……」

 勝ち負けの並びで見れば、波は激しかった。

 デビューから6戦勝ちなし(3敗)の後、6連勝。終盤にまた調子を落とし、最後はなんとか粘って、1度の登録抹消だけでシーズンを乗り切った。

 ドラフト1位の看板を背負い、プレッシャーは「めっちゃありました」。とりわけ負けた後、心はかき乱された。過去のドラ1ルーキーと数字を比較しては、焦りを募らせた。

 勝った時でさえ、報道陣の「自信になったか」の問いにうなずきながら、内心は不安のほうが強かった。「次も同じようにできるのかな」。確たる手ごたえを得られぬまま日々は過ぎた。

スイッチが切り替わった瞬間。

 順調に勝ちを重ねていた時期を、上茶谷はこう振り返る。

「『あそこの場面であの球が決まったから』とか、そういうのがなかったんです。抑えてはいるけど、抑えられた原因がはっきりわからなくて。自分が試合をつくったというより、援護点に恵まれたり、ファインプレーに助けられたり。なんか変というか」

 確信なき好投が長く続かなかったのは、必然だったのかもしれない。

 8月に入り、つまずいた。6日のカープ戦で5回途中6失点、13日のスワローズ戦で4回7失点と、結果が伴わなくなった。

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「何でやろ……」

上茶谷がひねり出した答えは「コントロール」。いま思えば、そこに間違いがあった。

 プロ1勝をなかなか手に入れられずにいた5月11日のカープ戦で、上茶谷は立ち上がりに苦しみ、2回を終えた時点で51球を投じていた。3回からは「開き直って腕を振った」。6回までマウンドに立ち、球数は98球。負け投手になったものの現状打破の糸口を見つけた上茶谷は、次の試合から連勝をスタートさせる。

 コントロール重視から、腕を振って強い球を投げる意識へ。それが功を奏したのに、8月の挫折に際して、「またコントロールに戻ってしまった」。

 腕の振りは緩み、かといって、その間の制球力が特段高まったわけでもなかった。最も自信がある変化球だというチェンジアップのコントロールにも気を配ったが、いかんせんストレートに強さがないだけに、打者がつられるほどの効果は生まれなかった。

 8月を0勝で終え、9月最初の登板は、7日のドラゴンズ戦。1回裏に2点の援護を簡単に吐き出すと、さらに失点を重ねた2回途中にマウンドを降りた。実はこの2回から、スイッチは切り替わっていた。

初回の投球を見た筒香嘉智に「腕が振れていない」と指摘されていたのだ。

 初回は最速143kmだったが、「思いきり振ったるわ」の気持ちで向かった2回の最速は148km。それでもこの日は抑えられなかったが、きっかけにはなった。

 筒香からは、ベンチで、そして宿舎でも、助言を受けた。
「腕を振ればあれだけの球がいくのに、何でそれを最初からしないんだ。いままでは143km、144kmくらいしか出てなくて、結果も出てないんだから、もっと腕を振っていけ。バッターからすれば、腕を振ってこないピッチャーは怖くないし、いいボールが来ても振らないぞ」

 上茶谷は言う。
「腕が振れていないことに関しては、降板した後のベンチで、ラミレス監督からもまったく同じことをかなり厳しく言われました。筒香さんからは、打者目線の意見を聞けたことが大きかった。ボールを置きにいっても、そこに投げられていなかったので、それやったら思いきりいって、甘く入って打たれたら、反省する。そっちのほうが後悔がないかなと思うようになりました」

この経験を次にどう生かすか。

 次戦のスワローズ戦で7勝目を手にした。直球の球速はコンスタントに145kmを越え、苦しみながら5回を投げきった。今シーズン最終登板となった9月27日のジャイアンツ戦は、初めて中継ぎを経験し、最速149km。ピンチをつくりながら無失点で終えた。

 初めて歩くプロの道。蛇行しつつも、正しいと思えるルートに戻ってきた。

 上茶谷は「自信がついた、ということはない」と言いながら、収穫を一つ挙げた。

「球速があんまり速いわけじゃないんですけど、まっすぐにもっと自信を持って、思いきり放ってもいい。変化球、変化球とならずに、もっとまっすぐを使っていい。それに気づけたことが収穫ですね」

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 東洋大からプロに進んだ同級生たちはみな、充実の1年目を過ごした。

 ホークスの甲斐野央は中継ぎとして65試合に登板し、防御率4.14。ドラゴンズの梅津晃大は、8月に初先発を果たし、4勝を挙げた。

 さらにドラフト7位でバファローズ入りした内野手の中川圭太は、111試合に出場。打率.288、得点圏打率.360の好成績を残した。

上茶谷は、彼らの数字をほぼ暗唱した。彼らが出る試合はいつも見ていた。かつての仲間の活躍は刺激になり、1年を走りきるうえでの燃料となった。

 真に重要なのは、この1年の経験を次にどう生かすかだ。

 2019年に投げたのは、上茶谷が134回、大貫が66回2/3。来年からは、2人で1人の活躍ではなく、それぞれが独り立ちした結果を残さねばならない。

 2020年。22年ぶりの2位でなく、22年ぶりの1位を。若者たちの成長に、希望は託されている。