FOR REAL -in progress-

「最高です!」の叫びの裏で
――その夜、戸柱恭孝に光が注いだ

2019/7/8

優勝を目指して戦う横浜DeNAベイスターズ。その裏側では何が起こっているのか。
“in progress”=“現在進行形”の名の通り、チームの真実の姿をリアルタイムで描く、もう一つの「FOR REAL」。

 110、90、12、6。
 年ごとのスタメン出場の数をプロットすれば、まさしく崖のような図が浮かび上がる。それこそが、プロ4年目のキャッチャー、戸柱恭孝の足跡だ。

 7月4日のタイガース戦、今シーズン5試合目のスタメンマスクを18日ぶりに託された。メンバー表に自分の名前を見つけ、薩摩の血潮はどくんと脈打つ。

「絶対にやってやる。自分にできることを100%、全力でやろう」

 このカードが始まるまで、横浜スタジアムでのタイガース戦は1勝5敗と分が悪かった。4日の試合には、同地・同カードで実に4年ぶりの勝ち越しが懸かっていたが、そこに戸柱の意識は一切向けられていない。真っ先に思い起こしたのは、バッテリーを組む先発、大貫晋一の顔だった。

「大貫は、苦い思いをした(1アウトも取れず6失点で降板した)楽天戦以来の登板。前日、緊張しているように見えたので、ぼくは和ませようと思ってちょっかいをかけたり、茶々を入れたりしてたんです。実際に組むことになった当日も、ジョークを言ったりして力みを取らせようと。対バッターというより、大貫をどうやってリードしようかという思いだけでした

 空に明るみの残る18時、スタジアムの要の位置に腰を落とした。ここでプレイボールの声を聞くのは、開幕2戦目、3月30日以来だ。

 捕手のサインに、ルーキーがうなずく。
 ツーシームがミットに収まる音が、決意の一戦の幕開けを告げた。

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指揮官は捕手の交代を告げた。

 トレードにより、ベイスターズ捕手陣に伊藤光が加わったのは、昨年7月9日のことだ。戸柱は同23日に登録を抹消されると、昇格の機会は最後まで訪れなかった。光の名を持つ経験豊富な捕手の加入を機に、背番号10がしばらく陰の存在となったことは否めない。

 汗と土にまみれるファームでの日々を経て、2019年の開幕は一軍メンバーに復帰して迎えた。
 だが、断崖をよじ登ることは容易ではなかった。

 京山将弥と組んだ開幕カードのドラゴンズ戦は、フル出場しながらも1-9の敗戦。4月は途中出場が1試合あっただけで、2打数0安打。体を持ち上げようにも、つかむべき手がかりをほとんど得られなかった。

 そして、ようやく訪れた今シーズン2度目のスタメンマスクが、あまりに苦い記憶となる。

 5月12日、マツダスタジアムでのカープ戦。再び、京山とのバッテリーだ。
 初回に鈴木誠也の3ランを浴び、2回は先頭の田中広輔にヒットを打たれ、二盗、さらに三盗を決められる。1アウト後、投手のアドゥワ誠を2球で追い込みながら、甘く入った3球目のストレートを弾き返され痛恨の失点。

 その後、2アウト一、三塁となったところで三塁側ベンチからA.ラミレス監督が歩み出る。
キャッチャー、交代――。
 守備の最中に防具をつけた捕手がベンチへ下がる光景は、見るに痛々しかった。

 およそ1カ月半ぶりにかぶったスタメンマスクを早々に外さねばならなかった胸中とは。2カ月近い時が経ってなお、振り返る言葉はいまだ途切れがちだ。

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……ああいうのは初めてでしたからね。正直、ビックリはしました。でも、ね。京山がどうこうじゃなくて、あそこはぼくがリードできなかったなと思って。監督は『何かを変えるために』と(報道で)言ってましたけど、そこがピッチャーではなく、ぼくだった。それはぼくら選手がコントロールできることじゃないんで。まあ……仕方ないというか。悔しい思いはものすごくありましたけど、それを飲み込んで、交代してからはベンチで普通にしてたつもりでしたけどね……」

 次カードは、横浜に戻ってのドラゴンズ戦だった。そこで監督との対話の機会が設けられた。交わされた言葉の詳細を本人は明かさないが、2回途中という異例の交代の意図とともに、「ぼくに対しての思い」を伝えられたという。

成長を促した「ファームでの時間」。

 またしても、絶壁を前に立ち尽くす日々が始まった。
 5月はあのカープ戦を除けば、出場機会は守備の1イニングのみ。6月も前半は代打の1打席が与えられただけだった。

 伸ばした手が明確な出っ張りをつかむのは、6月14日のホークス戦だ。2年前に日本シリーズを戦った福岡の地で、駒澤大学の後輩である今永昇太とコンビを組んだ。
 戦いに臨む心境を、戸柱はこう振り返る。

「日本シリーズをやったところだなとは、まったく思わなかった。ぼくの場合は、1打席、1試合が勝負になってくる立場。自分にできることを全力でやって、勝ちたい、結果を出したいという思いだけ。腹をくくって、覚悟を持って試合に入りました」

 パ・リーグ屈指の好投手、千賀滉大からN.ソトの満塁ホームランでリードを奪うも、終盤じりじりと追い上げられる痺れる展開。1点差となった9回の守りは嶺井博希に託したものの、久々の心を焦がす感覚と勝利の味に、戸柱は「楽しかった」と小さくうなずく。

 この試合の直前、6月13日にファームから昇格してきたばかりだった。納得の一戦を終え、送り出してくれた指導者たちの言葉が胸に甦る。

キャッチャーがゲームをコントロールするという感覚をファームで思い出した。上がる時も、ファームのコーチ陣やスタッフから『お前の感覚で好きなようにやれ』『全力でがんばってこい』と。そういう言葉に背中を押してもらって、自分が思うとおりにできたんじゃないかなと思います」

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 昨年7月を起点とする1年間のうち、自身に影響を与えた最大の経験として戸柱が挙げるのは「ファームでの時間」だ。

「監督は、必ずいちばんいい選手を使うわけですから。そこはもう割り切って、また勉強しながら、いつ呼ばれてもいいようにしっかり準備しようって思いでやってました。初めてこんなに長くファームにいて、ぼくはためになったというか、野球以外の面でも成長できたと思う。一軍にいさせてもらって試合に出ている時に、ファームでいっしょに組んだピッチャーや、ファームで長くやってきた選手が出たりしたら、『なんとかしてあげたいな』って本当に思います。(7月5日の試合でプロ初登板した)齋藤(俊介)の球を受けてる時もそう思ってましたしね。ぼく自身もそうですけど、苦しい姿を見てきたので、そういう人が活躍した時はよりうれしいですよね

プロ野球にあるもう一つの世界を知ったことで視野が広がり、それは懐に深みをもたらした。ある種の余裕と言ってもいいのかもしれない。

 今シーズンもすでに2度の抹消を経験したが、昨シーズンのそれとはまるで心持ちが異なるという。

「前は、『うわ、ファームか』『もうダメやな』というふうに思っている自分がいたけど、(今シーズンは)ネガティブな受け止め方をしなくなりましたね。また次が来たら、100%の力を出せるように。そのために準備をしておこうって思えるようになりました」

生傷を抱えるバッテリー、奮闘の証。

 引き分けた16日のホークス戦でも、上茶谷大河と組んで試合をつくった。右手、そして左手と壁をつかんだ戸柱が、もう一つ上のくぼみに指を掛けんとした試合こそ、7月4日のタイガース戦だった。

 滑り出しは決して順調とは言えなかった。
 初回に2本のツーベースで先制点を与え、味方が逆転して迎えた2回の守りでパスボール(振り逃げ)、3回にはハーフバウンドの返球を戸柱が捕りきれず、同点の走者生還を許してしまう。

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 だが、「自分にできることを全力でやる」その信念は揺らがなかった。

「いままでだったら『どうしよう』って焦ってたと思うけど、キャッチャーのそんな様子が見えたらチームにもよくないし、自分も全力でやった結果なんで。次がある、次のプレーをしっかり、次の1点を与えないようにって、すぐに切り替えられました

 動じぬ捕手に、大貫も応えた。5回2失点の成績は数字だけを見れば平凡かもしれないが、ともに前回の出番で負った生傷を抱えるバッテリーにしてみれば、力を合わせ持ちこたえた証だった。

 6回からは、石田健大をリードした。2016、2017年と、先発の石田と幾度となくバッテリーを組んだ。いまは中継ぎとして、3イニングを9人で終わらせた盟友の球を、こう評する。

「先発だった時も、本来、ああいうボールを投げてましたからね。ぼくがいちばん組んできたと思ってるんで。ケンタが試行錯誤しながら中継ぎですごくがんばってるのは、自分が座ってない時でも、ファームにいた時でも見ていたし、もっと彼のいいところを出そう、組んだらこうしようって想像してました。だから、試合になっても不安なく、すんなり入れましたよね」

 8回、ヒットで走者を出したが、続く打者を併殺に打ち取り、石田は救援を完了させた。マウンドを降りる時の姿に、戸柱は左腕の変化を見た。

「表情自体は変わらないというか、もともと淡々と投げる感じ。でも中継ぎになってからガッツポーズしたり、声をあげたりしてる。『ああ、こういう喜怒哀楽を出すようになったんだな』って。普段そうじゃない人が気持ちを出すと、チームも『点を取ってやろう』とか『あいつのために』という雰囲気がさらに出る。いままでにない一面を見られているのかなと思います」

 6回の攻撃では、自身のバットで一つの答えを出した。守屋功輝の149kmの直球を完璧に捉えた、右中間への美しい一発。微かに頬を緩ませて、感触を思い出す。

「ぼく自身もなんとか結果を出さないといけない立場なんで。全力で自分のスイングをしたら、最高の結果になりました」

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「最高です!」と叫んだ理由。

 5点差の9回は、国吉佑樹が3人の打者を圧倒した。ラストバッターの力ないピッチャーゴロが、国吉からJ.ロペスへと渡った瞬間、ゲームは閉じた。

 勝ちゲームで、最後までマスクをかぶる。いったい、いつ以来のことだろう。
 戸柱は覚えていた。

「ちょうど1年前のいまぐらいの東京ドーム(2018年7月5日)。今永が投げて、6-4で勝った試合以来じゃないですか」

 スコアまで見事に言い当てると、冗談交じりに「数が少なくなると覚えるものなんですよ」と笑みを見せた。そして、しみじみと続ける。

1年ぶりか……。そりゃあやっぱり、うれしかったです。キャッチャーは最後までマスクをかぶって、マウンドでハイタッチをするっていうのがいちばん報われますし。試合の前から、バッターをどうしよう、ピッチャーをどうしようとすごい考えて、初回からアウトを積み重ねて、最後まで抑えて……マウンドに行くっていううれしさは、 キャッチャーしか味わえないですから」

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 満員の観衆の視線が注いだヒーローインタビューでは、「最高です!」と3度絶叫した。素の思いを語り始めれば、ダムが決壊する危険があったのだ。

うれしすぎて、感極まって涙が出るのがイヤだったんです。あかんな、と。だからもう、あれしかなかった。笑いが起きてくれてよかった。あの流れで大貫まで『最高です!』って言ったのは、ちょっと違うと思いましたけどね(笑)。『そこちゃうやろ』って、終わってからみんなで笑って話しました」

 光が届かぬ深い谷のような苦境に身を置き続けてきた29歳が、まぶしい星空を久々に見上げた瞬間だった。

 今シーズン、ベンチから試合を見つめる時間は長い。視線の先にいるのは、背番号29だ。
 戸柱は言う。

「いままでなら『悔しいな』『自分が出たいな』と思っていた。そういう気持ちは野球選手である以上は持ってなきゃいけないんですけど、(伊藤は)パ・リーグで優勝争いもして、レギュラーで長くやってきた方なので、学べることがめちゃくちゃあるなって思えるようになりました。たとえば配球でも、『うわ、ここでこれ行くか』と。バッターはこんな反応するんだとか、じゃあ自分も次やってみようとか。ピッチャーに『光さん、どんな声かけしてるの?』と聞いてみたこともありますし、光さんに直接聞いてもすぐに教えてくれますし。新しい引き出しにものすごくなる。よきライバル、よき先輩。自分にとってはプラスになってますね

チームとともに、さらなる高みへ。

 翌5日のジャイアンツ戦でも、戸柱はスタメンマスクを任された。4回まではほぼ完璧に今永とゲームを組み立てたが、5回に同点2ラン、6回には丸佳浩の3ランなどで4点を失い、首位との大事な一戦に敗れた。
 反省点を尋ねる問いに、戸柱は自らに言い聞かせるように、あくまでポジティブな答え方をする。

「まあ、やることやって、腹をくくって、ああいう結果になったんで……。投げたピッチャーとは、『次はどうしていこう』という会話が生まれるようになったし、その反省を次に生かせるように、すぐ切り替えられるようにはなりました。負けた試合の次の日、前は(気持ちの落ち込みが)表情に出てましたけど、もう終わったことなんで。やり返してやろう、また全力でプレーできるようにしようって、そういうふうになってきてますよ」

 まだまだそびえる壁は高く、ひょいと乗り越えられるものではない。指揮官が指さす「いちばんいい選手」になるために、一つかみ一つかみ、地道に体を引き上げていく日々がこれからも続く。

 最大11の負け越しからほぼ5割まで巻き直したチームとともに、さらなる高みへ。峻険な山を登り切った時に見えるであろう仲間の表情に、戸柱は思いを馳せる。

「これからどうなるかわからないですけど、ぼくは、出たところで100%、全力で自分のできることをやって、マウンドでまたみんなとハイタッチできるように。その積み重ねだと思うので、1試合1試合を大事にしていきたい。シーズンはまだあと半分ある。みんなと笑って終われるようにしたいですね」

 暑さが盛りを迎える季節、ペナントレースも熱を帯びる。
 辛苦の経験を乗り越え、たくましくなった男が必要とされる時は、必ずや来る。

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