FOR REAL -in progress-

見よ、この雄姿を
――胸に刻む「恩」の一字

2019/6/10

優勝を目指して戦う横浜DeNAベイスターズ。その裏側では何が起こっているのか。
“in progress”=“現在進行形”の名の通り、チームの真実の姿をリアルタイムで描く、もう一つの「FOR REAL」。

 もう、見慣れたものであるはずだった。
 車窓を流れる風景も。眼前に迫る銀色のドームも。

 だが、心に去来する感情は微妙に異なる。

 男はハンドルを握っておらず、ホテルから乗り込んだバスの揺れにただ身を任せている。以前とは時間帯も違う。バスを降りて向かう先は、三塁側。ロッカーやブルペン、かつて使っていたものとは似て非なるすべてが、「君はビジター(訪問者)なのだ」と語りかけてくる。

 6月4日、1年2カ月ぶりに京セラドームに足を踏み入れた伊藤光は秘かに高揚していた。10年半も在籍した古巣との対戦を前に、期する思いがあった。

「オープン戦も含めて初めての対戦。“敵”として戦うのはどんな感じなんだろうなって。ぼくはもう終わった、だから(トレードで)出されたんだと思われてる方がたくさんいると思うので、見返すというか、『まだやれるぞ』という姿を結果で示したかった

試練が訪れた、2018年の春。

オリックス・バファローズを想う時、伊藤の頭には真っ先に「感謝」の念が湧き起こる。

 甲子園に出られなかった高校生捕手に目をかけプロ入りへと導いてくれたスカウト。腰の手術で野球ができなかった期間に支えとなってくれたトレーナーら裏方のスタッフと、復帰を我慢強く待ってくれた球団。そして、一軍の舞台で戦える選手にまで育て上げてくれた指導者たち。

 彼らへの情は「恩」の一字に凝縮される。

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 2013年には、130試合でスタメンマスクを任される選手に成長した。
 翌年にはベストナインやゴールデングラブ賞などの個人タイトルを獲得した。

 プロの世界の一角に、たしかな足場を築いたかに思えた。
 だが、出番は徐々に減った。

 チーム事情により三塁手なども務めた時期を経て、捕手一本で行くと決めた2018年。伊藤に試練が訪れるのは、その春のことだ。

 バファローズは開幕からの10戦を2勝8敗と大きく負け越していて、伊藤自身も前年のシーズン終盤に始まる連続無安打の沼から脱け出せずにいた。打てない捕手に対する風当たりはおのずと強まった。

「守備に関してはチームが勝っていなくて、バッティングのほうではいい当たりは出るけど数字には表れていなかった。もう一回キャッチャーでレギュラーを獲ってやろうと意気込んでいた矢先だったし、『なんとかして結果を出さなきゃ』っていう焦りはありました。心に余裕がなかった

 伊藤は、当時の心境を思い返しながら言葉を継ぐ。

『ミスしちゃいけない』ってすごく思ってましたね。そういう思考が一発目に出てくること自体、『なんかマイナスなこと考えてるなあ』って。結局、それがプレーにも出て、ミスをして。何を言われてもしょうがないって感じでした」

 悪循環を象徴するのは、2018年4月17日、ZOZOマリンスタジアムでのマリーンズ戦。守備では勝ち越しを許すパスボール、打撃ではバントを失敗してダブルプレーに倒れた。輝きを放てなかった伊藤は試合後、ファーム降格を言い渡される。

「まだ春先だし、やり返すチャンスはいくらでもある」

 背番号22の志が果たされる機会は訪れない。一軍再昇格の声は掛からぬまま日々は過ぎ、あのマリーンズ戦が、伊藤にとってバファローズでの最後のゲームになった。

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第1打席、朗らかにバットを振った。

 電撃的な交換トレードが成立したのは、およそ3カ月後の2018年7月9日。

 新たに背番号29を与えられた男は、年をまたいでベイスターズ主戦捕手の座をつかみ取り、京セラドームに帰ってきた。

「バッターのことをよく知っているんだから抑えて当たり前」。周囲は無邪気に期待したが、伊藤は「対戦してきたわけではないし、そう見られるのは結構つらかった」と明かす。

 それでも、バファローズの打者を打席に迎え入れる時、あるいは自らが打席に入る時、表情はいかにも楽しげだった。

「もともと仲のいいチームメイト。ファームにいた時にいっしょにやってきた選手たちが一軍の試合で結果を出してるのもすごくうれしくて、対戦しながらいつも以上にワクワクしてる自分がいました。それに、ぼくはベイスターズに来てからミスを恐れなくなった。何ごとも挑戦して、ダメだったら、またそれに対して練習すればいい。周りのみんなに影響されて、自分もそういう意識に変わってきてるんです。真剣にやりながらも試合を楽しむことができています

 ミスへの恐怖という呪縛から解かれた伊藤は、第1打席、朗らかにバットを振った。今シーズンいっきに先発として台頭してきた若手右腕、山本由伸の初球をファウル、2球目を空振り。あっという間に追い込まれたが、悲壮感はない。

 3球目のカーブも迷いなくスイングすると、乾いた音を響かせた打球は広いドームのフェンスを越えた。

 貴重な先制ソロは、早くもキャリアハイ(2017年)に並ぶ第5号だ。この日はさらに安打を連ねて猛打賞。打率は.260前後をキープしており、今年の伊藤は捕手ながら攻撃面での貢献度も高い。

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 自らの打撃論を、30歳はこう語る。

「状況に応じたバッティングをするというスタイルを変えたくなくて、長打がほしい時はバットを長く持ったりしてたんですけど、いろいろ考え過ぎて合わなかったというか、結果が伴っていなかった。オフの間から『バットを短く持ってコンパクトに振ろう』と思ってやってきて、それがいまの結果につながっている。ホームランはもちろんうれしいけど、あんまり気にしてないですね。ぼくの打順だと、ランナーを還すことだったり、あとは球数を投げさせたりして相手のピッチャーが嫌がるようなことをするとか。そういう、アウトになってもダメージを残すスタイルが大事だと思っています

 投手のバトンは、先発の大貫晋一から濵口遥大、E.エスコバー、S.パットンを経て、2点リードの9回、抑えの山﨑康晃に託された。

 扇の要には伊藤がいた。これまでは嶺井博希に譲ることが多かったクローザーの相棒の座。それを明け渡さなかったのは、5月31日のスワローズ戦から2試合連続だ。

 伊藤は言う。

「後から行く嶺井のほうがしんどいとは思います。ぼくはもう『がんばれ』って祈るしかなかった。でもやっぱり最後まで出たいし、そのために『ヤス(山﨑)と組んだ時に一発で結果を出してやる』と思って、ずっと準備をしてきました。(スワローズ戦で)3人で終われたのがよかった。いい印象を与えられたのかなって思います」

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 セ・パ交流戦の開幕を勝利で飾り、フル出場した伊藤はヒーローになった。かつての本拠地でマイクを向けられ、「活躍が恩返し」との言葉に思いを込めた

 昨春のファーム降格からずいぶんと時は過ぎ、その間に「やり返すチャンス」は「恩返し」に形を変えた。伊藤はまっすぐに言った。

「『まだできるよ』っていうのは結果でしか見てもらえないと思ってたので。やってやろうという気持ちとか、がんばってるなっていう姿は見せられたかな」

「ぼくの代わりはいっぱいいる」

 対バファローズ3連戦は、初戦に快勝したものの、その後2つの負けを重ねた。

 劣勢の2試合、いずれもビハインドのシチュエーションで藤岡好明はマウンドに送り込まれた。

 6月5日は0-4の7回、上位打線を9球で三者凡退。
 6日は2点を勝ち越された4回の途中、1アウト二塁の状況。S.ロメロを空振りの三振、中川圭太をセンターフライに打ち取ると、続く5回も本塁を踏ませることなく3つのアウトを奪い、務めを果たした。

 伊藤と同様、リーグの境を越えてやってきた右腕。ファイターズから移籍して4年目の今シーズンは、ここまで14試合に登板し、いまだ防御率0.00をキープしている。

 藤岡は言う。

「ここまで来ると周りにも結構言われますね。でも、数字をそんなに意識してきたわけではなくて。一試合一試合、どういうピッチングをしたいのか、どういう準備をするのかということに意識を置いている。やるべきことに集中できているのかなと思います」

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 一軍に昇格したのは4月13日。その1カ月ほど前からファームで取り組んできたことが成果につながっているという。

「若い選手が何人か、大家(友和)さんの勧めで重いボールを投げる練習をしていて、ぼくも興味があったので1kgのボールでやらせてもらったんです。いろんな目的があるんですけど、ぼくの場合はしっかり腕が振れるトップの位置を確認するため。そういう動作を増やしたことで、少しいい方向に向かっている」

 ここ5年は、平均すると10試合ほどしか登板できないシーズンが続いていたが、今年は2カ月足らずで14試合に投げた。それでも、藤岡の心を占めるのは充実感だけではない。ふさわしい言葉を探るようにして、言った。

「たしかに楽しいです。一軍にこれだけ長い期間いることはここ数年はなかったですし、少し自分のペースになりつつあるのかなと思います。一軍の空気感、流れに慣れてきたのかなって。でも、ぼくの代わりになる若い選手はいっぱいいるので、余裕を持って、というわけにはいかない。危機感は常にあります

視線は自己より他者に向く。

 プロ入りから14年目になる藤岡のキャリアを、平坦な道にたとえることはできない。

 右肩を痛めて「もう終わったかな」と目の前が暗くなった2012年。故障から復帰するなり39試合に登板、防御率1.19の好成績でホークスのブルペンを支えた。
 2013年も6月下旬までの間に登板32試合とフル回転したが、突如、体調不良に見舞われる。肝機能低下の診断を受け、「野球どころじゃない。人生を考えた」。

 以後、2度のトレードを経験。脂が乗る時期に次々と訪れた苦難は選手としての歩みを難しくしたが、その一方で人間的な成長を促しもした。
 だからだろうか。いま、ベイスターズの一員として忙しく働く身になって、視線は自己より他者に向く。

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 藤岡は言った。

「ファームの投手コーチだったり、いろんな人に教えてもらったことをただぼくがやっているだけ、という感じに近いですね。がんばってるというより、がんばらせてもらってる。みんなに助けてもらっていまがある。自分の力ではないなって思います」

 外から流れ込んでくる力をエネルギーとしているという34歳は、自身を媒介にするかのように、知識、経験、あるいは生き方を、若い選手たちの心に注ぎ込む。

「年齢も上になりましたし、自分のことよりも、なんとか若い人といっしょに、サポートしながら、声を掛けながら、やっていけたらなと思っています。『これで最後かもしれない』という思いは常にあるので、自分のいままでの経験を出し惜しみしない。来年とかじゃなくて、いま。聞かれたら全部教えるし、協力する。それがぼくが後輩たちにできる、ある意味、最後のことだと思うので

 今シーズンは、50試合、願わくば60試合に登板する。それが藤岡の目標なのだという。選手たちに向けて行われる研修で、講師から「目標を持ち、それに向かって取り組むことの大切さ」を伝えられたのを機に、あらためて目指す数字をセットした。

「これも、教えてもらったことをやらせてもらっているだけ。だから全部、ぼくの力ではないんですよ」

実践の主体が自分自身であることには一切触れず、藤岡は笑った。

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「大丈夫。そんなに変わらないよ」

 セ・パ交流戦は1週目を終え、3勝3敗の五分で乗り切った。6月9日のライオンズ戦では楠本泰史が代打逆転満塁ホームランを横浜スタジアムのレフトスタンドに叩き込み、残り4カードの戦いに向けて気勢は上がる。

 強敵との連戦に臨むうえで、パ・リーグに長く在籍した2人の存在は頼もしい。

 伊藤は謙遜しつつ言った。

「パ・リーグを知ってると言われても、ぼくは大したことなかったので。ただ、何も知らずにやるのと、ある程度はイメージを持った状態でやるのとでは全然違う。そういう意味ではピッチャーへの伝え方だとか、少しでも役に立てれば」

 藤岡もまた控えめながら、自身の役割をこう話す。

「いいイメージもあるし、悪いイメージもむちゃくちゃある。(バッターの)思いきりがいいという怖さはもちろんあるんですけど、萎縮する必要はない。ブルペンで『打つなあ』って言ってる若い選手には、『大丈夫、大丈夫。(セ・リーグと)そんなに変わらないよ』って声を掛けるようにしています

 まずはビジターでの6連戦。

 伊藤は、バファローズでのラストゲーム以来の千葉へ。
 藤岡は、プロ入りから8年間を過ごした福岡へ。

 それぞれの思いを胸に秘め、ゆかりの地に再び足を踏み入れる。

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