私とベイスターズ supported by マルハニチロ

No.055

2019.11.06 wed

自ら語った「頂点後」の冬の時代
すべてはもう一度優勝するために

COLUMN by 佐伯 貴弘

 ベイスターズ元年となった1993年から18年間チームに所属し、主力として活躍した佐伯貴弘。長打力を武器にしたバッティングと男気あふれるキャラクターでファンから愛された選手だった。
 佐伯にベイスターズ時代をあらためて振り返って欲しいと申し出ると、真摯な表情で次のように語った。
「できれば、99年以降のお話をさせてください」
 野球人生のハイライトともいえる98年の日本一ではなく、それ以降のいわゆる“凋落の時代”。佐伯は、あえてその時期のことを知って欲しいのだという。光があれば影もある。目をそらさずに向かい合わなければいけない歴史、そして真実がそこにはある。
「リーグ優勝後、チームは3年連続3位でAクラスには入りましたが、僕たちはもちろんファンの方々が望む優勝という結果を得ることはできませんでした。対戦相手がエース級を当ててくるなどベイスターズへのマークの仕方が変わってきたり、得点を取ったときに守りきれなかったり、良いピッチングしているときに打てなかったなど、歯車が噛み合わなかったのがひとつの要因だったと思います。しかし、それは後から気づいたことでした。
 僕はベイスターズが弱い時代から所属したので、強くなっていく過程というのは理解していたのですが、一方で強くなってそれを継続する方法がわからなかった。マークされていることにも気づかず、なぜ勝てないのだろうと頭をひねるばかりでした。
 そして、谷繁元信さんがFAでチームを去るのですが、個人的にはこれも痛かったかもしれません。
 僕は30代となり、培ってきた伝統を後輩たちに伝えていかなければいけない立場になりました。自分のことよりもチームをどうにかしなければと、そればかり考えていましたね。たくさんの力のある若手たちが入団し成長してきている。チーム力は決して低くないのに、上手く噛み合うことができない状態がつづきました」

 当時のベイスターズは過渡期を迎えていた。親会社が変わったことで、外部からいろいろ人間が流入してきており足並みが揃わなくなっていた。目標は言うまでもなく優勝だが、方向性が定まらず現場の選手は戸惑うことが少なくなかったという。年長の佐伯は若い選手たちに問いかけ、時に叱責することもあったが、微妙に狂った歯車は整うことなく、選手だれもが勝ちたいという思いがあるにも関わらず、チームに絶対的な一体感が生まれることはなかった。
「思い出したのは入団当初の弱かったベイスターズです。優勝はしたいという意識があるにも関わらず、チーム全体の意識がひとつの方向にむかわず、どこか個人個人で戦ってしまっている。
 98年の優勝を予感させたあの時代は、チームメイトと試合に対して喜怒哀楽を共有できました。試合に負けたけど俺は打ったからいいや、負けたけど俺は抑えたからいいや、という選手は皆無。個性豊かな選手たちが、ユニフォームに袖を通した瞬間、その日の目標に向かってひとつになる。それは言葉だけはなく、空気や肌でも感じられ『このチームで優勝できる』ではなく『優勝したい』と思ったんですよ。
 僕としてはもう一度このチームで優勝したかったし、若い選手たちに優勝することの素晴らしさを知ってもらいたかった。上手くいかず悩みましたし、あの頃はもどかしさばかり。ふと横浜スタジアムを見渡せば、年々動員数が減っていくのが手に取るようにわかりました。それでも足を運んでいただき懸命に応援してくれたファンの方々には、勝てない時期であっても本当に支えられたなと感じています」
(後編へ続く)

(取材・文=石塚隆)

PROFILE

佐伯貴弘

1970年4月18日生まれ。大阪府出身。尽誠学園高から大商大を経て、93年にドラフト2位で入団。入団1年目から出場機会を掴むと、98年には38年ぶりの日本一に貢献。以後もチームの主軸を張りシーズン3割超えは4回。11年に中日移籍、その年のオフに自由契約となり、13年に引退を決意した。通算成績は1895試合、1597安打、156本塁打、795打点、打率.277