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No.051

2019.11.2 sat

98年日本一バッテリー対談vol.1
「不思議な大人の世界だけど、アットホームだった」

COLUMN by 野村 弘樹&谷繁 元信

――野村さんは1987年、谷繁さんは1988年のドラフトを経て入団しました。お二人とも広島県出身ですが、学生のころから面識はあったんですか?
野村 いや、なかったですね。
谷繁 初めて会ったのはホエールズの寮でしたよね。二人の共通のスカウトだった木下強三さんが「おう野村、広島から来た谷繁じゃ。面倒みちゃれ」って広島弁で。
野村 もう忘れちゃったよ(笑)。当時は世代の近い人間が多くて寮も賑やかだったよね。俺の代は進藤(達哉)に盛田(幸妃)、吉本(文弘)とかがいた。
谷繁 僕の代は石井(琢朗)、井上(純)、佐野(貴英)、堀江(賢治)、山口(幸勇)、川口(正)とか、みんな高卒で寮にいたんですから、そりゃ騒がしかった。
――当時寮長だった三浦健児さんによると、野村さんも谷繁さんもやんちゃだったと聞いています。
野村 多少はね(笑)。だって高校(PL学園)は寮生活で完全に管理されていたから、そりゃプロになって外に出て自由に飲み食いしたいって思うよ。まあ若かったし、しょうがない(笑)
谷繁 僕はあるとき門限を破ってしまって、帰ってきたら門が全部閉まっていた。しかたなく柵をよじ登って超えようとしたら、先端の尖った部分にジーパンが引っ掛かってビリビリに破れちゃったんです。で、翌朝、三浦さんにそう伝えたら、怪我をされちゃ困るからと「わかったシゲ、裏の門は開けとくから帰る前に連絡をよこせ」って言ってくれて(笑)
野村 今じゃ考えられないけど、本当おおらかな時代だったよね。

――入団前はホエールズにどんなイメージを持っていましたか?
野村 関西にいたから大洋の中継は巨人戦ぐらいしかなかったんですよね。だから齊藤明雄さんに遠藤一彦さん、あとスーパーカートリオに田代富雄さんがホームランの数だけヘルメットに星のシールを付けていたとか、それぐらいの知識しかありませんでした。
谷繁 正直に言わせてもらえば、当時は誰がいるかなんて全然知りませんでしたよ。
野村 まあ、あのときはセ・リーグの中で特に影が薄かったし。
谷繁 でも入団したら齊藤さんや遠藤さんはもちろん新浦(壽夫)さんや木田(勇)さんとかベテランばかりだった。このなかで野球をやるのかって。
野村 ベテランの人が多かったよね。
谷繁 ベテランの方々と僕らの中間に大門(和彦)さんや欠端(光則)、松本(豊)さんがいたイメージ。
野村 近い先輩で中山(裕章)さん。

谷繁 覚えているのは一年目のキャンプのとき齊藤さんと同部屋だったんですよ。当時は静岡でキャンプだったんだけど、齊藤さんの部屋っていろんな人が来て、皆で飲んでる感じだったじゃないですか。
野村 そういえば、よく齊藤さんの部屋に呼ばれてたなあ。そこで若手は、齊藤さんたちがつまみにする貝柱をライターで炙って渡してた。
谷繁 ああ、ありましたね。炙ったほうが美味いんだとか言って。
野村 あれ、指痛くなるし火傷しそうになるから大変だったよな(笑) 俺は新浦さんと一緒の部屋で、練習から帰るといつも部屋にヘネシーとパンがあった(笑)。もちろん俺はまだ飲めないから、新浦さんが「野村、パン食え」って。
谷繁 新浦さん、パンをつまみにヘネシー飲んでたんですね……。何か不思議な大人の世界だったけど、アットホームだったし、押し付けられるような関係ではなかったですよね。
野村 うん、怒られることも当然あったけど、理不尽な怒られ方はしなかった。どこかおおらかというかね。
谷繁 楽しい人が多かった。まあ、そんな感じだったから勝てなかったのかも(笑)
野村 おいシゲ、そんなこと言ったら先輩に怒られちゃうだろ!(笑)
(vol.2へ続く)

(取材・文=石塚隆)

PROFILE

野村弘樹

1969年6月30日生まれ。広島県出身。PL学園高を経て、88年ドラフト3位で入団。1年目にプロ初登板で完封勝利を挙げると、90年に初の2ケタとなる11勝。そして93年には17勝で最多勝に輝いた。98年はチームトップタイの13勝で38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。2001年に通算100勝を達成。02年限りでユニフォームを脱ぎ、引退後はコーチを務めた。通算成績は301試合、101勝88敗、防御率4.01。

PROFILE

谷繁元信

1970年12月21日生まれ。広島県出身。江の川高(現・石見智翠館高)を経て、89年ドラフト1位で入団。1年目から頭角を現すと、96 年に打率.300を残しリーグを代表する捕手に。98年に38年ぶりの日本一に大きく貢献。02年にFA で中日に移籍し、13年に2000安打達成。14年から選手兼監督となり、16年現役引退。同年で中日を退団。通算成績は3021試合、2108安打、229本塁打、1040打点、打率.240。