私とベイスターズ supported by マルハニチロ

No.050

2019.10.31 thu

「離れていても、いつも気になる」
男・村田が語るベイスターズ愛

COLUMN by 村田 修一

「ベイスターズでどうしても勝ちたい、優勝したいという思いもあり、ときには厳しいことを言って憎まれ役を買うこともありました。とくに若いピッチャーに対しては、勝負をして欲しいという思いが強かった。フォアボールを連発し一発を食らうケースが多く、近くで背中を見ていると、逃げているつもりはなくても、どうしてもそう見えてしまうことが多かった。僕たちにそう見えてしまうということは、相手チームはもちろんファンの人たちにもそう見えていたと思います。僕たちが打って得点すればいいのですが、それでも逆転されてしまうなど歯車はなかなか噛み合いませんでした……。
 2010年のオフに国内FA権を取得したのですが、僕としては他球団に行ってでも優勝したいという気持ちがあったものの、残留することを決めました。それは懇意にしていただいていた当時の球団社長、加地隆雄さんの一言が大きかった。球団の身売りという噂もあるなか『もう1年、俺は勝負したい』とおっしゃるので、だったら僕ももう1年残って勝負したいと伝えました。
 しかし残念なことにチームはまた最下位に沈み、2011年オフにベイスターズはDeNA体制に移行します。FA権の行使に関し、新たなフロントと話し合いの場をもったとき「5年後に優勝争いができるチームを作る」と言われましたが、僕としてはすでに30歳も超えていて、5年後というのは正直イメージできませんでした。
 本来であればベイスターズで最後まで優勝を目指し、ひとつの球団でキャリアを終えるのが理想でしょうし、できればそうしたいという思いもありましたが、自分の野球人生を考えてチームを出ていくことを決めました。

 その後のベイスターズは対戦相手としてしか知りませんが、強くなったのは間違いないですよね。僕にとって最後のクライマックスシリーズの試合は2016年のベイスターズ戦ですが、そういう戦いができるチームになって良かったなって素直に思ったんですよ。横浜スタジアムもずいぶん様子が変わりました。僕らの時代からくらべれば正直言ってうらやましい。あれだけのお客さんを前にして戦えるわけですし、なおかつ勝つ喜びを知っている。OBとしては頼もしい後輩たちだなって思っています。
 今はジャイアンツで仕事をしていますが、ベイスターズは僕にとってプロとしてスタートを切った場所ですし、野球選手として基盤を作ってくれた球団。僕が長年プロ野球の世界で頑張ってこられたのはベイスターズがあったからこそだと思っています。離れていても、いつも気になるチームなんです。
 そしてファンの方々にも“ありがとう”を伝えたい。温かい声援はもちろん、ときには厳しい野次を飛ばされることもありました。それを跳ね飛ばすために頑張ろう、結果を出そうという気持ちが強くありました。本当、最後の最後まで横浜スタジアムで叱咤激励いただけたのは感謝しかありませんね」
(前編はこちら)

(取材・文=石塚隆)

PROFILE

村田修一

1980年12月28日生まれ。福岡県出身。東福岡高、日本大学を経て2002年に自由獲得枠で入団。新人年から25本塁打。07年から不動の4番となり、2年連続で本塁打王に。12年にFAで巨人に移籍しリーグ3連覇に貢献。17年限りで自由契約となり、18年はBCL/栃木でNPB復活を目指すも叶わず、同年限りでユニフォームを脱いだ。19年より巨人のコーチに就任した。NPB通算成績は1953試合、1865安打、360本塁打、1123打点、打率.269。