私とベイスターズ supported by マルハニチロ

No.022

2019.08.21 wed

ホエールズ・ベイスターズは、
まさしくホームタウン。“自分の家”です

COLUMN by 山下 大輔

 人柄がよいと評判の山下大輔は、生え抜きの選手としてチームの勝利に尽力した功労者であったが、優勝できなかったこと以外に後悔していることがひとつある。それは己の身の引き方においてだ。
「1987年にそろそろ潮時かなと思い、引退することを球団に相談したんですけど、まだ若い選手が育っていないからと慰留されたんです。それならば、とやる気になっていたのに、結局、開幕はファームだと告げられました。僕としてはその現状に心の整理がつかず、開幕前に辞めることを決めたんです。今思えば、当時の首脳陣の方々とコミュニケーションがしっかりと取れていなかった。納得した上でのファームであれば、あのような形で辞めることはなかったと思いますね……」
 山下は1988年の開幕直前に引退表明をした。現役生活14年。本来であれば花道が用意されるべき守備の名手は、ファンに見送られることなくユニフォームを脱いだ。
「今でもあんな中途半端な時期に辞めるべきではなかったと考えるんですよ。もうちょっと辛抱強く自分をコントロールできていたらなと。プロ野球選手は一度辞めてしまえば復帰は難しい。体が動くのならば、どんな状況でもやるべきだと。自分から辞めるのは、必要がなくなって辞めるのとはわけが違う。自分としては間違った選択をしたと思うし、当時の監督の古葉竹識さんにも失礼なことをしてしまい、申し訳ないという気持ちもあるんです」
山下はまるで懺悔するように約30年前の出来事について語った。人間関係の齟齬はどんな社会にでもある。ましてやプロ野球界は、選手の能力や自尊心、球団の思惑が複雑に入り混じり、ボタンの掛け違いにより望むエンディングを迎えられないケースは少なくない。たとえそれが山下のような選手であっても……。

 その後、山下は指導者として、またフロントとしてチームに関わるようになるが、選手たちには事あるごとに自分の経験を鑑み「一日でも長く現役をつづけるべきだ」と伝えてきた。選手としてグラウンドに立っていられることがどれだけ幸せなのか、山下は自ら放棄してしまったからこそ、その価値を誰よりも理解している。
 1993年の横浜ベイスターズ元年に山下はコーチとして復帰すると、2003年~2004年には生え抜きのOBとして満を持して監督に就任。さらにDeNA体制になった2012年からはファーム監督、ゼネラルマネージャー補佐と長きにわたって陰日向となりチームを支えてきた。ユーモアあふれる語り口調と、持ち前の柔和な雰囲気で、今でもチーム関係者やオールドファンからは“大ちゃん”と親しまれている。

「僕にとってホエールズ・ベイスターズは“自分の家”ですよね。まさしくホームタウン。現役時代から僕が監督やコーチだったときも含め、このチームにはどこか“ファミリー”といった雰囲気があるんですよ。そういったルーツは今も息づいていると思いますね」
 そういえばキャプテンの筒香嘉智も、チーム関係者やファンを“ファミリー”と呼んでいる。山下が感じていたチームカラーは現在においても継承されているようだ。
「僕を育ててくれた、かけがいのないチーム。チームが再びリーグ優勝、そして日本一を遂げることを願っているし、これからもずっと見守っていきたいですね」
(前編はこちら)

(取材・文=石塚隆)

PROFILE

山下 大輔

1952年3月5日生まれ。静岡県出身。清水東高から慶大を経て、ドラフト1位で74年に入団。76年から83年まで8年連続でダイヤモンド・グラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を受賞した。81年にベストナイン。88年シーズン前に引退後は、横浜ヘッドコーチ、監督、ファーム監督、楽天ヘッドコーチなど歴任。通算成績は14年間で1609試合出場、1378安打、129本塁打、455打点、打率.262。