私とベイスターズ supported by マルハニチロ

No.020

2019.08.08 thu

ミスターホエールズの転機となった
中部利三郎氏との物語

COLUMN by 松原 誠

 松原誠が輝きを放ったのは打撃ばかりではなく、リーダーシップにおいても同様だった。これぞ背番号『25』の宿命だろうか。
 静岡・草薙で春季キャンプを張っていた時代、日中の練習を終えると、近隣にある松原の知り合いの弓道場を借り、若手選手たちが門限ぎりぎりまで熱心にバットを振った。通称『松原道場』と言われ、山下大輔や田代富雄ら参加した選手たちの多くがレギュラーへと巣立っていった。
「自ら誘うということはなく、一生懸命やりたい奴は来いといったスタイルでしたね。わたしは基本的に練習をしない人間は相手にしなかった。当時は競争社会ゆえに先輩が後輩に技術を教えるということはなかったんだけど、わたしの場合は持っているものを教えても、自分はさらにその先へ行けばいいと思っていた。それしきのことで後輩に負けるようではダメだという気持ちがありましたから」
深い懐と強烈なキャプテンシーにより鯨軍団を率いた松原だったが、若いときは気が弱く、あがり症の一面があったという。
「それを変えてくるのは、やっぱり練習しかないんです。だから“人の三倍練習をする”ということを自分に課していました。それだけやれば緊張しなくなる。俺はこれだけやっているんだ、お前になんか負けないよ、と自信を得るには練習しかないんです。あとは絶対に後悔をしないという気持ち。いつ辞めたとしても、俺はやりきったと思えるように毎日を過ごしてきました。そういったバックボーンがあったからこそ20年近く現役をつづけられたんだと思いますね」

 もうひとつ、松原にとって選手生活を送る上で大きな影響を与えたのが、中部謙吉オーナーの実弟であり、オーナー代理だった中部利三郎だった。
「おそらく1968年ぐらいだったと思うけど、慣れないサードの守備であまりにもエラーが多く、しょげかえっていたことがあったんです。それでオープン戦で下関へ遠征したときのパーティーで、利三郎オーナー代理に言われたんですよ。『松原君、何度失敗しても心配することはありません。ただ同じ失敗を二度としないください』と。この言葉ですごく気持ちが晴れたというか、慣れてないから当たり前、打撃はもちろん走塁、守備において二度と同じことを繰り返さなければいいんだと。上手くなる人間は失敗をしたら、次はそうならないために工夫をする。その気持ちを利三郎オーナー代理が教えてくれたんです。翌日は吹っ切れてホームランを3本打ちましたよ」
 こういったメンタルの持ちようが、2000本安打達成はもちろん球団記録となっている330本塁打、1172打点、延いては15年連続120試合出場という圧倒的な数字に結びついているのだろう。まさに松原こそ“ミスター・ホエールズ”である。
だが人生とはわからないものである。松原は2000本安打を達成した翌年の1981年に宿敵の巨人へとトレードされる。愛するホエールズで現役生活を終えようと引退も考えたが、諸事情があった上に、この年から巨人を率いることになった藤田元司監督に「君の野球に対する姿勢に惚れ込んだ」と懐柔された。藤田は1975年から2年間、ホエールズで投手コーチを務めており、その際に松原の野球に取り組む熱心さや、背中でチームを引っぱる姿を見ていたのだろう。
 松原は移籍会見の際「巨人への憧れなどない。大洋で優勝するのが自分の目標だった」と涙ながらに語っている。
 奇しくも松原はホエールズ時代に経験できなかったリーグ優勝と日本一を巨人で遂げることになる。だが嬉しいという感情はなかなかわかなかった。
「藤田さん良かったですね、という思いだけでしたね……」
 この1年限りで松原はユニフォームを脱いだ。決して本意ではなかった巨人への移籍だったが、気づかされることもあったという。
「助監督だった王(貞治)さんと巨人と大洋はなにが違うのかという話になったんです。すると王さんは『巨人ではウグイス嬢まで優勝したいと思っている』と言うんです。多くの観衆に見られ、緊張感のなか優勝を義務付けられている。控えの選手もベンチで懸命に声を出している。一方、大洋は悠長というかAクラスになれば万々歳といった空気が少なからずあった。わたしは一生懸命、優勝目指してやっていたけど、多くの人たちの“思い”と“覚悟”の差が、巨人と大洋の差だったのではないかと考えるんです」
 そう言うと松原は静かにうなずいた。
「ただ、時代は違えど今の横浜DeNAベイスターズは、あの頃巨人で感じた空気になりつつある。もはや優勝以外は喜べない状況になっているし、多くのファンが球場に詰めかけ緊張感の中で試合をしている。わたしは9月後半に横浜DeNAベイスターズが首位に立っていると信じていますし、チームOBとして、ともに喜べる日がくることを心待ちにしています」
(前編はこちら)

(取材・文=石塚隆)

PROFILE

松原 誠

1944年1月13日生まれ。埼玉県出身。飯能高から62年に入団。当初は捕手だったが一塁手に転向して65年からレギュラーに定着し、主砲として長きに渡り活躍。80年には大洋球団史上初の通算2000本安打を達成した。81年に巨人へ移籍し、その年限りで現役引退。以後は大洋・横浜、巨人、広島のコーチを歴任。通算成績は20年間で2190試合、2095安打、331本塁打、1180打点、打率.276。