私とベイスターズ supported by マルハニチロ

No.007

2019.04.06 sat

球団と大洋漁業、下関との絆

COLUMN by 大深 邦宏

 大深氏は1990年から2000年まで大洋漁業の下関支社長の要職を務めたが、この間、ホエールズ・ベイスターズの試合が下関で開催されると支社をあげて球団に協力した。親会社であることを考えれば当然のことかもしれないが、実際は本社から要請があったわけではなく、自発的にとった行動なのだという。
「やはり大洋漁業に勤務しているという愛社精神や誇りが姿勢として出たんだと思います。ここは自分たちがやらねばいけない、と。当初は野球好きな人たちが集まってボランティア体制でスタートしました」
 約2ヵ月前から準備は始まり、球場や警察、消防、病院との打ち合わせ、警備体制の確保、球場周辺地域への挨拶まわり、ポスター貼り、アルバイトの募集、勝利投手賞やホームラン賞の資金集めなど仕事は多岐に渡った。大変な苦労を要したというが、すべては大洋漁業、そしてチームに対する愛により成せる業だったと大深氏は述懐する。
 団側もそんな下関支社の尽力に報いようと、シーズン中に社員たちを横浜スタジアムに招待した。
「ベンチを見学させてもらったり、選手たちと一緒に写真を撮ってもらったり、いろいろと球団には気を遣ってもらいました。いい思い出ですし、ありがたいことです。あとチームが下関に来た際に監督や球団関係者の方々と一緒に食事をするのも楽しみでした。近藤昭仁さんや権藤博さん、大矢明彦さん。オープン戦が行われる時期は、旬を迎える名物のフグをよく振る舞いました。私は冗談でよく『優勝しなかったらフグを吐き出してくださいね』と言ったものです(笑)。先日の下関での試合の前夜祭で大矢さんにお会いしたのですが、そのときのことを覚えてらっしゃいましたね」
 そんな大深氏や社員たちの献身が報われるときはついに訪れる。1998年のリーグ優勝と日本一、歓喜の熱は言うまでもなく下関にまで伝播した。
「本当に嬉しかったし、応援してきた甲斐がありました。信じられない気持ちで一杯でしたよ。下関の政財界も盛り上がって、市長を通し当時の中部慶次郎社長に連絡をとり、下関で優勝パレードをして欲しいと要請したんです」
 こうして大深氏にとって二度目の優勝パレードが目の前で実現した。チームからは権藤監督をはじめ石井琢朗や野村弘樹といったスター選手たちが顔を揃えた。沿道には6万人のファンが集まり熱狂した。

 じつはこのとき、選手のサインや記念品の数々を下関支社は球団から贈られていたのだが、その後支社を移転した際、所有スペースの問題もあり、一部の所在がわからなくなっていた。今回の取材を受けるにあたって調べた結果、当時の社員たちが大事に保管していたことがわかった。
 目の前にある懐かしい記念品の数々を愛でながら大深氏は、感慨深げに語る。
「社員たちが宝物のように大事に持ってくれていたようです。大洋漁業たちの社員がホエールズ・ベイスターズを愛しているということなんでしょうね。今年、球団創設70年目ということで、球団と大洋漁業、下関との絆がより強くなったように感じます。球団の一時代を支えた同志としてこれからもチームを見守っていきたいと思いますし、皆で日本一を目指し、また下関でパレードをしていただきたいと心から願っています」

前編はこちら

(取材・文=石塚隆)

PROFILE

大深 邦宏

1939年7月31日生まれ。山口県長門市出身。1963年に大洋漁業株式会社(現マルハニチロ株式会社)に入社。下関支社長を務めた1990年から約10年間、ホエールズ・ベイスターズ主催の下関開催ゲームの運営に携わる。