私とベイスターズ supported by マルハニチロ

No.006

2019.04.05 fri

下関に伝統として息づく中部家の魂

COLUMN by 大深 邦宏

「ホエールズ・ベイスターズは大洋漁業の社員にとって誇りです。愛社精神が反映された、とても大切なチームなんです」
 今年80歳を迎える大深邦宏氏は、落ち着いた面持ちながら熱を込めそう語った。
 大深氏はかつて大洋漁業(現マルハニチロ)の下関支社長を務め、ホエールズ・ベイスターズが生まれ故郷の下関市で試合を開催する際に尽力してきた人物である。
 山口県長門市出身の大深氏は、大洋漁業に勤めていた親に連れられ、戦後、下関市へと移り住んだ。当時はまだプロの球団はなく、アマチュアの時代。少年時代の大深氏は、大洋漁業のノンプロチームを応援するために、よく旧下関球場へ足を運んだという。
「当時の対戦相手は八幡製鉄所や近鉄といったチームで強豪が多かったんです。大洋漁業の城下町である下関は、市民一丸となってチームを応援しました。本当に野球の盛んな街だったと思います」
 その後、1949年にプロの球団である大洋ホエールズが創設されると当時水産業で日本一の街は、これまで以上の賑わいをみせた。そしてチームは1960年に初の日本一を飾る。学生だった大深氏は、下関での凱旋パレードのことを今でも覚えている。
「当時、大洋漁業には遠洋漁船が出航、入港する際に、それを祝い港で演奏する“ペンギンシスターズ”という女性だけのブラスバンドがあったのですが、彼女たちが三原脩監督ら日本一になった選手たちを先導して下関の街をパレードしました。懐かしいですね」
 日本一になった1960年は、大洋漁業創立80周年のメモリアルイヤーであり、かつ南極沿岸における捕鯨量で世界一にもなった市民にとっては忘れられない一年でもあった。

 1963年に大深氏は大洋漁業に入社。社内にはホエールズの大応援団が組織されており、隣県の広島へゲームがあるたびに会社の命で遠征したという。
「弊社としては、もう一度日本一をという気持ちが強かったと思います。列車を借り切って広島へ向かいましたが、費用は会社負担。ただ当時は今とは違って、野次などを飛ばすと広島のファンから物が投げ込まれたりしたので、大洋ファンは静かに応援していましたよ(笑)」
 社をあげて高まる野球熱。大深氏は、大洋ホエールズを創設した中部兼市や、そのあとを継ぎオーナーとしてチームを強くした中部謙吉の魂が、現在においても伝統として息づいていると感じている。
「大洋漁業の創業家である中部家の野球に対する情熱は高く、それが社員にも伝播し、現在に至っていると感じています。また名物オーナーとして名を馳せた謙吉さんは、懐の深い方で鋭い経営手腕を持っていました。ただ一方で心の優しい人柄で、ものすごく社員から親しまれていたんです。それもあって社員は皆、ホエールズを大切な身内のように応援したんだと思いますね」

後編へ続く

(取材・文=石塚隆)

PROFILE

大深 邦宏

1939年7月31日生まれ。山口県長門市出身。1963年に大洋漁業株式会社(現マルハニチロ株式会社)に入社。下関支社長を務めた1990年から約10年間、ホエールズ・ベイスターズ主催の下関開催ゲームの運営に携わる。