私とベイスターズ supported by マルハニチロ

No.005

2019.03.27 wed

諦めない気持ち

COLUMN by 山本 譲二

「ふるさとの自慢は、日本一のフグの味と日本一のホエールズ」
 こんな言葉を胸に下関から歌手を目指し上京した山本は、24歳でデビューをするも売れず長い期間、下積みを強いられることになる。そして31歳のとき『みちのくひとり旅』の大ヒットでスターダムにのし上がった。不遇の時代を腐らず粘ることができたのは、弱くともひたむきに戦うホエールズの姿と野球部時代に学んだ“諦めない気持ち”があったからだという。
 ただ一方で、一時期、ホエールズから気持ちが離れてしまったときがあるという。
 山本は正直に告白する。
「球団から“マルハ”の色が消えてしまったときは寂しかったですよね。下関が忘れられてしまったようで……。だからしばらくは感情移入できない状態でした」
 だが2011年、事態は変わり最接近する。
「親しい友人だった中畑清さんが監督に就任することになって、これはもう横浜DeNAベイスターズを応援するしかないだろうって。チームについて中畑さんといろいろ会話をするようになり、完全に昔の熱量を取り戻しましたね」

 好きな選手は今年の開幕投手を務めることが発表された今永昇太。なかなか勝てずに苦しんだ昨シーズンの今永の姿が山本の目には焼き付いている。
「彼は昨年、とにかく打たれに打たれた。けど人間は悔しい思いをして、挫折感を味あわなければ本当の成長はできないんです」
 山本はかつての不遇時代の自分を見るように、今永の捲土重来に期待をしている。
「勝つ試合より、負けた試合の方が学ぶことは多い。だから彼の完全復活を願っているし、応援したい」

 3月10日に雨天中止となった下関での試合に代わって、3月21日に横浜スタジアムにて開催された試合で、山本は球団創設時の大洋ホエールズ復刻ユニフォームを身にまとい大観衆の前で『みちのくひとり旅』を披露した。
「この下関時代のユニフォームは懐かしいし、本当に感動しました。また、閑古鳥が鳴いていた時もあった横浜スタジアムに今では多くのファンが訪れ、熱い声援を送っている。時代の流れを感じますね。選手たちにはそんなファンの期待を裏切らないように毎試合、精一杯の力で戦い、日本一を目指して欲しい」
 密かな楽しみが山本にはある。それは日本一を成し遂げたら球団創設の地・下関で凱旋パレードをしてもらい、ファンや選手、チーム関係者へ向け心を込めて熱唱することだ。
「ホエールズ・ベイスターズは人生をともに過ごしたかけがえのない球団。球団創設70年目の今年、日本一の凱旋パレードで歌えたら最高だし、下関の人たちも本当に喜んでくれると思う。最後に歌うのはオヤジ(北島三郎)の『祭』で決まり(笑)。それを夢見てみんなで頑張っていきましょう!」

前編はこちら

(取材・文=石塚隆)

PROFILE

山本 譲二

1950年2月1日生まれ。下関市出身。早鞆学園高校時代に西中国地方代表(当時)として第49回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に出場。1974年に「夜霧のあなた」で歌手デビューを果たし、1980年にリリースした「みちのくひとり旅」がミリオンヒット。3月10日に実施予定だった下関でのオープン戦(雨天中止)で、スペシャルゲスト出演が予定されていた。