ALL TIME BEST NINE ALL TIME BEST NINE
投票期間:2019年7月22日〜2019年8月31日
ホエールズからベイスターズへと続く70年の歴史を作ってきた歴代OB選手の中からベストナインを選出してください。
あなたの最強布陣を選ぶも良し、あの頃応援した思い入れたっぷりの選手を選ぶも良し。
みなさんの思いをこのベストナインにこめてください!
  • 各ポジションから1選手お選びください
  • 記名することによりノミネートされていない選手にも投票できます
  • 現役選手(他球団所属も含む)は投票対象外となります
  • 結果発表は2019年9月中旬を予定しております

nominated players

ノミネート選手一覧

先発投手

STARTER PICHER

ENTRY
No.01

NOBORU AKIYAMA

高校時代からバッテリーを組む土井淳と共に明大5人組の一人として入団。1年目から25勝を記録し、新人王を獲得。球団初の日本一となった60年には先発、中継ぎ、抑えでフル回転し、最優秀防御率、最優秀勝率のタイトルと最優秀選手賞を獲得。62年9月25日、26日の阪神戦ではプロ野球史上唯一の2試合連続完封勝利を記録したほか、通算5度のダブルヘッダー連勝記録を持つ。04年に野球殿堂入り。通算639試合登板は球団歴代1位。

DATA
1934年2月3日 177cm/73kg 右/右 岡山東高-明治大 
56~67年 639試合193勝171敗 防御率2.60
秋山 登
ENTRY
No.02

MAKOTO INAGAWA

入団1年目から55試合に登板し、12勝を挙げると、2年目の63年には現在も球団記録のシーズン26勝をマーク。翌年も21勝を稼ぎ、秋山登と共にホエールズ投手陣を牽引した。62年7月1日の巨人戦(川崎)では王貞治に一本足打法変更後の第1号本塁打を打たれた。引退後は、コーチやスカウト、寮長も務め、球団在籍は約半世紀に及んだ。また蝶の収集家としても知られており、日本に生息するほぼ全種を標本として収集している。

DATA
1936年7月25日 170cm/65kg 右/右 修猷館高-立教大-富士鉄室蘭 
62~68年 304試合83勝70敗 防御率2.78
稲川 誠
ENTRY
No.03

MASAJI HIRAMATSU

球団史上唯一の200勝投手。67年の都市対抗野球大会で優勝し、橋戸賞を獲得した後に入団。代名詞の「カミソリシュート」を武器に69年から12年連続2ケタ勝利を記録。70年には25勝で最多勝利投手、最優秀投手、沢村賞を受賞。巨人キラーとしても名をはせ、ON全盛の巨人から歴代2位の51勝を挙げ、通算200勝目も83年10月21日の巨人戦だった。入団時の背番号は憧れの長嶋茂雄と同じ「3」。

DATA
1947年9月19日 176cm/74kg 右/右 岡山東商高-日本石油 
67 2次②~84年 635試合201勝196敗16セーブ 防御率3.31
平松 政次
ENTRY
No.04

KAZUHIKO ENDOH

直球とフォークボールを武器に80年代中盤に「セ界のエース」として君臨する。83年は12連勝を含む18勝で最多勝、最多奪三振、沢村賞を獲得。84年も17勝で2年連続の最多勝、最多奪三振に輝いた。87年10月3日の巨人戦でアキレス腱を断裂するも、90年は抑えで復活を遂げ、カムバック賞を受賞。球団7年ぶりのAクラス入りに貢献した。引退試合の92年10月7日は「横浜大洋ホエールズ」としての最終戦だった。

DATA
1955年4月19日 184cm/72kg 右/右 学法石川高-東海大 
78③~92年 460試合134勝128敗58セーブ 防御率3.49
遠藤 一彦
ENTRY
No.05

HIROKI NOMURA

プロ初登板となった88年10月2日の広島戦(横浜)で球団史上唯一の新人初登板初完封勝利を挙げる鮮烈なデビューを飾る。93年には17勝を挙げ、球団の左投手では初となる最多勝利を記録。また野手顔負けの打撃センスの持ち主で、96年4月23日の阪神戦(平塚)では風邪により欠場する選手が多い中、打っては3点本塁打、投げては9回2失点に抑える完投勝利を収め、野村の独り舞台だった。通算101勝は球団の左投手では歴代最多勝利。

DATA
1969年6月30日 181cm/83kg 左/左 PL学園高 
88③~02年 301試合101勝88敗0セーブ 防御率4.01
野村 弘樹
ENTRY
No.06

DAISUKE MIURA

「ホエールズ」としての最終戦となる92年10月7日の巨人戦(横浜)でプロデビュー。98年は、8月上旬までに10勝を記録した後、肝機能障害で約1ヵ月間戦線を離脱したが、入院中も病院を抜け出し、ランニングをしていた。9月下旬に復帰すると、さらに白星を重ね、自己最多の12勝で優勝に貢献。自己最多タイの12勝を記録した05年には最優秀防御率、最多奪三振のタイトルを手にした。「ハマの番長」のニックネームでファンに愛された。

DATA
1973年12月25日 183cm/88kg 右/右 高田商高 
92⑥~16年 535試合172勝184敗0セーブ 防御率3.60
三浦 大輔

中継ぎ投手

RELIEF PICHER

ENTRY
No.01

KOHKI MORITA

4年目の91年に念願のプロ初勝利を挙げると、翌92年は開幕ローテーション入りを果たす。途中休養の須藤豊に代わり監督に就任した江尻亮により中継ぎに転向するも規定投球回に達し、最優秀防御率のタイトルを獲得。その後も内角を鋭くえぐるシュートを武器に試合終盤を任され、佐々木主浩と共に「ダブルストッパー」として他チームに恐れられる。漁師をしていた盛田の父が若かりし頃、船上で病に倒れ、大洋漁業の母船に救われたという不思議な縁もあった。

DATA
1969年11月21日 186cm/89kg 右/右 函館有斗高 
88~97年 273試合40勝33敗28セーブ 防御率3.96
盛田 幸妃
ENTRY
No.02

NAOYA SHIMADA

92年に日本ハムからトレードで入団。94年から中継ぎを務める。97年は自己最多の60試合に登板し、最優秀中継ぎ投手を受賞。98年は「ヒゲ魔神」こと五十嵐英樹、阿波野秀幸らと共に中継ぎ投手陣を引っ張り、38年ぶりの日本一に貢献。特に4月10日の巨人戦(横浜)では、1点差の9回2死に頭部付近の死球で危険球退場した佐々木の後を受けて緊急登板をしたが、後続の打者をしっかり抑え、チームの危機を救った。

DATA
1970年3月17日 175cm/78kg 右/右 常総学院高 
92~00年 338試合39勝35敗9セーブ 防御率3.54
島田 直也
ENTRY
No.03

TAKEO KAWAMURA

アトランタ五輪銀メダリストの称号を引っさげてプロ入りし、球団新人投手35年ぶりの2ケタ勝利を記録。98年4月3日の阪神戦(横浜)では史上3人目の開幕戦1安打完封勝利を記録した。99年に先発で自己最多の17勝を挙げるも、その後は勝ち星を伸ばせず04年から中継ぎに転向。当時救援を任されていたクルーン、木塚敦志、加藤武治、川村の頭文字「K」を取って命名された「クアトロK」の一角として活躍した。

DATA
1972年4月30日 182cm/80kg 右/右 厚木高-立教大-日本石油 
97①~08年 368試合71勝64敗4セーブ 防御率3.72
川村 丈夫
ENTRY
No.04

ATSUSHI KIZUKA

サイドスローから直球と多彩な変化球を投げ分けつつ、気迫を前面に押し出す投球スタイルでブルペンを支えた。00年3月31日、阪神との開幕戦で球団の新人投手では2人目の開幕戦初登板初勝利を飾る。後半戦には抑えを任され、球団の新人投手では初の2ケタセーブとなる18セーブをあげる。01年はチーム最多の69試合に登板し、9勝3セーブ、防御率2.48で最優秀中継ぎ投手賞を獲得。球団歴代6位となる490試合登板は全てリリーフだった。

DATA
1977年7月19日 182cm/86kg 右/右 浦和学院高-明治大 
00②~10年 490試合35勝25敗24セーブ 防御率3.35
木塚 敦志

抑え投手

CLOSER PICHER

ENTRY
No.01

AKIO SAITOH

新人だった77年、8勝のうち4勝を巨人から稼ぎ、また王貞治の本塁打世界タイ記録達成を阻止する完封勝利などが評価され、新人王を獲得。翌78年4月4日、横浜スタジアムのこけら落としとなった巨人戦で先発を任され完投勝利し、同球場の公式戦勝利投手第1号となる。83年には当時の日本記録となる30セーブで最優秀救援投手を獲得。88年には右投手ではプロ野球史上初の100勝100セーブを達成。通算601試合登板は球団歴代3位。

DATA
1955年2月23日 184cm/85kg 右/右 花園高-大阪商業大 
77①~93年 601試合128勝125敗133セーブ 防御率3.52
齊藤 明雄
ENTRY
No.02

KAZUHIRO SASAKI

新人だった90年は先発を任されるも2年目からリリーフに転向。150キロを超す直球と落差の大きいフォークボールを武器に95年からは4年連続リーグ最多セーブを記録。98年は45セーブをあげてチームを38年ぶりの日本一に導き、また通算セーブ、通算セーブポイント、連続試合セーブなど、救援投手の新記録を次々と樹立した。00年にシアトル・マリナーズへ移籍し、日米通算381セーブを記録。14年には野球殿堂入りを果たした。

DATA
1968年2月22日 190cm/98kg 右/右 東北高-東北福祉大 
90①~99年、04~05年 439試合43勝38敗252セーブ 防御率2.41
佐々木 主浩
ENTRY
No.03

MARC KROON

05年、大魔神・佐々木主浩の離脱により抑えを務めるようになる。7月19日の阪神戦(甲子園)では、当時のプロ野球史上最速となる球速161km/hを記録した。球団在籍の3シーズンはすべて25セーブ以上を記録。通算84セーブは球団の歴代外国人投手では1位(チーム歴代5位)。試合前には、横浜スタジアムのコンコースに突然現れ、気さくにファンサービスをするなど、陽気な性格で多くのファンに愛された。

DATA
1973年4月2日 188cm/86kg 右/右 シャドーマウンテン高-パドレス-レッズ-ロッキーズ 
05~07年 145試合8勝8敗84セーブ 防御率2.82
マーク・クルーン

捕手

CATCHER

ENTRY
No.01

KIYOSHI DOI

高校時代からバッテリーを組む秋山登と共に56年に入団。球団を初の日本一に導いた監督の三原脩は入団前に土井からチーム事情や選手の特徴をヒアリングしたほか、60年には正捕手のかたわら弱冠26歳の若さでコーチも任すなど、三原から信頼を寄せられた。オールスター出場は球団に在籍した歴代捕手では最多の7回。引退後はコーチを務めた後、80年には横浜移転後初の球団生え抜き監督に就任。その後、OB会長も務めた。

DATA
1933年6月10日 170cm/74kg 右/右 岡山東商高-明治大 
56~68年 1138試合 508安打 23本塁打 176打点 打率.215
土井 淳
ENTRY
No.02

ISAO ITOH

61年に入団し、1年目から1軍でマスクをかぶる。64年には名捕手・土井淳からレギュラーの座を奪い、125試合に出場。同年のオールスターにも初出場を果たす。その後、12シーズンにわたり正捕手としてホエールズのホームを守った。捕手として1373試合出場は球団歴代2位。137本塁打は捕手としては球団歴代1位、1646試合は球団歴代6位。地方試合で活躍を見せることから「ドサキング」の異名を持つ。

DATA
1942年5月14日 181cm/80kg 右/右 東北高 
61~78年 1646試合 969安打 137本塁打 455打点 打率.228
伊藤 勲
ENTRY
No.03

HISAAKI FUKUSHIMA

長く正捕手・伊藤勲の控えに甘んじていたが、9年目の75年に10本塁打を放つと、76年には伊藤から正捕手の座を勝ち取る。75年から6年連続で2ケタ本塁打を記録したほか、78年4月17日の広島戦では北別府学から横浜スタジアムのチーム第1号本塁打を放った。サヨナラ打を5度記録するなど勝負強い打撃が持ち味で、晩年は代打としても活躍した。プロゴルファーの福嶋晃子、浩子姉妹の父でもある。

DATA
1947年4月10日 177cm/84kg 右/右 PL学園高-大昭和製紙 
67外~84年 1209試合 687安打 107本塁打 362打点 打率.239
福嶋 久晃
ENTRY
No.04

MOTONOBU TANISHIGE

高校通算42本塁打の強打の捕手として大きな期待を寄せられ、ホエールズ時代には山下大輔がつけていた背番号1をつけていた。一年目から開幕一軍入りを果たし80試合に出場。リーグを代表する捕手に成長した97年オフにはFA宣言し、一時は移籍も思案したが「横浜で優勝したい」と残留。強気のリードと強肩で投手を引っ張り、悲願の優勝を手にした。中日時代も含めプロ野球史上最多の通算3021試合に出場。

DATA
1970年12月21日 176cm/81kg 右/右 江の川高 
89①~01年 1417試合 1002安打 103本塁打 462打点 打率.248
谷繁 元信

一塁手

FIRST

ENTRY
No.01

MAKOTO MATSUBARA

入団時は捕手だったが、その打撃力を生かすために一塁手に転向。両足を地面に付ける『タコ足捕球』で名をはせる。5年目の66年にレギュラーに定着し、以後、4番打者としてチームを牽引した「ミスターホエールズ」。80年4月23日の阪神戦(横浜)では球団初の2000安打を本塁打で飾った。同年10月12日の広島戦(横浜)ではプロ野球記録の代打7打数連続安打を記録。大洋での通算330本塁打、1172打点は球団記録。

DATA
1944年1月13日 184cm/81kg 右/右 飯能高 
62~80年 2154試合 2081安打 330本塁打 1172打点 打率.277
松原 誠
ENTRY
No.02

JAMES PACIOREK

真面目な性格と安定感のある打撃が光った「優良助っ人」。来日1年目(88年)からリーグ最多安打、リーグ2位の打率.332を残し、ポンセと共に人気を得た。翌年もリーグ2位の打率.333に終わるが、90年は打率.326でチームメイトの高木豊との首位打者争いを制した。同年8月4日の中日戦(横浜)では延長15回、試合時間5時間51分と2日にまたがる熱戦に終止符を打ったのはパチョレックのバットだった。

DATA
1960年6月7日 191cm/94kg 右/右 ミシガン大-ブルワーズ 
88~91年 495試合 619安打 57本塁打 307打点 打率.326
ジム・パチョレック
ENTRY
No.03

NORIHIRO KOMADA

94年にジャイアンツからFAで入団。満塁の場面で無類の強さを誇った「満塁男」。98年は主将として優勝経験のない若い選手たちを襲うプレッシャーを解くためにチームを鼓舞した。日本シリーズ第6戦(横浜)では8回裏に0-0の均衡を破る決勝の2点適時打を放つ。00年9月6日の中日戦(ナゴヤD)で2000安打を達成した。ベイスターズでは94年から6年連続ゴールデングラブ賞受賞。95年には打撃用ヘルメットを被り守備についていた。

DATA
1962年9月14日 191cm/90kg 左/左 桜井商高 
94~00年 875試合 979安打 63本塁打 469打点 打率.289
駒田 徳広
ENTRY
No.04

TAKAHIRO SAEKI

勝負強い打撃とガッツポーズ、ユーモアあふれる言動でファンに愛された選手。球史に残る壮絶な打撃戦となった98年7月15日の巨人戦(横浜)。2点差の8回2死一塁の場面で一度は右飛に倒れるもボークにより打ち直しとなった一打が同点弾となり、13対12のサヨナラ劇につながった。06年9月7日の広島戦(下関)では10回二死満塁の場面でスイングした佐伯のバットに捕手・石原慶幸のミットが接触しサヨナラ打撃妨害を記録した。

DATA
1970年4月18日 186cm/90kg 左/左 尽誠学園高-大阪商業大 
93②~10年 1831試合 1575安打 155本塁打 789打点 打率.278
佐伯 貴弘

二塁手

SECOND

ENTRY
No.01

AKIHITO KONDOH

60年に入団すると、人一倍の気の強さと努力で新人ながら二塁手に定着。60年は打率.226に終わるが1番打者ながらチーム3位の40打点をあげる勝負強さが光った。日本シリーズでも第3、4戦で決勝打を放ち、MVPを獲得した。二塁手として1515試合の出場は球団歴代1位。239犠打は球団歴代2位。横浜大洋ホエールズから名称変更となった93年から3シーズンは横浜ベイスターズの初代監督として指揮を執る。

DATA
1938年4月1日 168cm/65kg 右/右 高松一高-早稲田大 
60~74年 1619試合 1183安打 65本塁打 360打点 打率.243
近藤 昭仁
ENTRY
No.02

JOHN SIPIN

長髪にヒゲをたくわえた風貌から当時の特撮番組のキャラクターにちなんで「ライオン丸」と呼ばれた。ライナーで外野スタンドまで打球を運ぶパワーを持ち、在籍した6シーズンは全て20本塁打以上を記録したほか、打率も4シーズンでベストテン入りした大型二塁手。ヘルメットを被って守備につき、目の覚めるような強肩から放たれる送球で遊撃手の米田慶三郎や山下大輔とともに完成させる鮮やかな併殺にファンは酔いしれた。

DATA
1946年8月29日 183cm/73kg 右/右 カブリロ大-パドレス 
72~77年 728試合 822安打 166本塁打 467打点 打率.299
ジム・パチョレック
ENTRY
No.03

YUTAKA TAKAGI

85年に加藤博一、屋鋪要とともに結成された「スーパーカートリオ」の一人。その前年には56盗塁で盗塁王に輝く。打撃では巧みなバットコントロールで球団歴代4位の1668安打を放ち、守備では二塁手、遊撃手でチームを引っ張った。83年6月5日の阪神戦(横浜)では9回裏2死満塁、2-2の同点の場面で絶妙なサヨナラバント安打を決めたり、幾度となくホームスチールを決めるなど、意表をつくプレーでファンを魅了した。

DATA
1958年10月22日 173cm/76kg 右/左 多々良学園高-中央大 
81③~93年 1563試合 1668安打 88本塁打 534打点 打率.298
高木 豊
ENTRY
No.04

ROBERT RICHARD ROSE

球団史上最強の外国人選手。93年の来日当初は守備を高く評価されていたが、左右に打ち分ける打撃で94打点をあげ、打点王に輝く。97年からはマシンガン打線の4番に座り、退団する00年まで毎シーズン打率3割2分、95打点以上を残す。特に99年は前半戦の最終戦となった7月23日のヤクルト戦(横浜)で1試合10打点と荒稼ぎし100打点に到達。その後も打点を重ね、プロ野球歴代2位のシーズン153打点を記録した。

DATA
1967年3月15日 180cm/85kg 右/右 サンディマス高-エンゼルス 
93~00年 1039試合 1275安打 167本塁打 808打点 打率.325
ロバート・リチャード・ローズ

三塁手

THIRD

ENTRY
No.01

TAKESHI KUWATA

59年に中央大よりプロ入りし、開幕戦から4番に座った強打の三塁手。現在でも新人本塁打記録となっている31本塁打を放ち、同年にデビューした村山実(阪神)、江藤慎一(中日)、王貞治(巨人)らを押さえて新人王に輝く。翌年はケガによる戦線離脱はあったものの、勝負強い打撃で日本一に貢献。94打点で打点王に輝いた61年には、4月8日、9日の広島戦(川崎)で2試合連続サヨナラ本塁打を放った。通算223本塁打は球団歴代4位。

DATA
1937年1月5日 176cm/87kg 右/右 荏原高-中央大 
59~68年 1178試合 1112安打 223本塁打 674打点 打率.265
桑田 武
ENTRY
No.02

CLETE BOYER

メジャー16年、1960年代のヤンキース5連覇に正三塁手として貢献した超大物外国人選手。来日時にはすでに35歳という年齢もあり打撃では高い数字を残せなかったが、守備では大物メジャーリーガーの片りんを見せ、松原誠、シピン、米田慶三郎とともに鉄壁の内野陣を形成した。外国人選手ながら74年にはコーチを兼任し、引退した76年には打撃コーチとしてチームに残り、伸び悩んでいた山下大輔、高木由一、田代富雄らを見出し、育てた。

DATA
1937年2月9日 182cm/83kg 右/右 アルパミズーリ高-アスレチックス-ヤンキース-ブレーブス 
72~75年 419試合 382安打 71本塁打 218打点 打率.257
クリート・ボイヤー
ENTRY
No.03

TOMIO TASHIRO

77年に5試合連続本塁打を含む35本塁打を放ち、正三塁手の座を掴む。自己最多、また当時のチームタイ記録となる36本塁打を放った80年には2度目のオールスター出場を果たす。大きな放物線を描く本塁打が魅力の一方でリーグ最多三振も3度記録した。引退試合となった91年10月10日の阪神戦(横浜)ではプロ最終打席で満塁本塁打を放ち選手生活に別れを告げた。278本塁打、1081三振はともに球団歴代2位。

DATA
1954年7月9日 185cm/80kg 右/右 藤沢商高 
73③~91年 1526試合 1321安打 278本塁打 867打点 打率.266
田代 富雄
ENTRY
No.04

TATSUYA SHINDOH

球団史上屈指の守備の名手。ドラフト外での入団ではあったが高卒1年目から一軍出場を果たす。「ホエールズ」から「ベイスターズ」に名称変更した93年4月16日、開幕から5連敗で迎えた阪神戦(横浜)で9回にサヨナラ満塁本打を放ち、チームにベイスターズ初勝利をもたらす。またリーグ優勝を決めた98年10月8日の阪神戦(甲子園)では8回表に右翼線に逆転の2点適時打を放つなど、勝負強さと一発を秘めた打撃も魅力だった。

DATA
1970年1月14日 174cm/74kg 右/右 高岡商高 
88外~00年 1037試合 739安打 85本塁打 331打点 打率.241
進藤 達哉
ENTRY
No.05

SHUICHI MURATA

1年目(03年)から新人最多記録となる月間10本塁打(9月)を含む25本塁打を記録した長距離砲。04年は15本塁打に終わるが05年からベイスターズ在籍最終年となった11年まで毎シーズン20本塁打以上を記録した。07年は36本塁打、08年は球団のシーズン最多本塁打記録となる46本塁打で、球団の日本人選手では56、57年の青田昇以来となる2人目の2年連続本塁打王に輝いている。251本塁打は球団歴代3位。

DATA
1980年12月28日 177cm/92kg 右/右 東福岡高-日本大 
03自~11年 1158試合 1100安打 251本塁打 732打点 打率.266
村田 修一

遊撃手

SHORTSTOP

ENTRY
No.01

DAISUKE YAMASHITA

甘いマスクで大学時代から人気を博し、「プリンス」と呼ばれる。ボイヤーから伝授された華麗なフィールディングで76年から8年連続でダイヤモンドグラブ賞(当時)を受賞。また77年から78年にかけては当時のプロ野球記録となる遊撃手での322連続守備機会無失策も記録した。88年のシーズン開幕直前に引退。93年にコーチで復帰し、98年はヘッドコーチとして監督の権藤博をサポート。03年から2シーズンは監督を務める。

DATA
1952年3月5日 175cm/78kg 右/右 清水東高-慶応大 
74①~88年 1609試合 1378安打 129本塁打 455打点 打率.262
山下 大輔
ENTRY
No.02

TAKURO ISHII

投手として入団した89年10月10日のヤクルト戦(神宮)でプロ初勝利を記録。92年から野手に転向し、翌年には正三塁手の座を獲得した。96年に大矢明彦監督により進藤達哉と入れ替わる形で遊撃手に転向。98年は一番打者として最多安打、最多盗塁でチームを牽引し、日本一に貢献した。06年5月11日の楽天戦(横浜)で球団生え抜きでは松原誠に次ぐ2000安打を達成した。試合数、安打数、盗塁数(355盗塁)はいずれも球団歴代1位。

DATA
1970年8月25日 174cm/78kg 右/左 足利工 
89外~08年 2158試合 2307安打 99本塁打 626打点 打率.283
石井 琢朗

外野手

OUTFIELDER

ENTRY
No.01

NOBORU AOTA

松竹と合併した53年にジャイアンツから入団し、同年4月23日の巨人戦(後楽園)ではサイクル安打を達成。54年8月には16年7月に筒香嘉智(16本)に破られるまで球団の日本選手では月間最多となる13本塁打を記録。同年は31本塁打を放ち、球団の野手では初タイトルとなる本塁打王を獲得した。56年には25本塁打、57年にも22本塁打を放ち、2年連続本塁打王を獲得した。72年に監督代行、73年には監督を務めた。

DATA
1924年11月22日 170cm/69kg 右/右 滝川中 
53~58年 666試合 672安打 111本塁打 324打点 打率.267
青田 昇
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No.02

KAZUHIKO KONDOH

寝かせたバットを投手に合わせて小刻みに揺すりながらタイミングを取る「天秤打法」で人気を博す。60年はリーグ2位の打率.316で球団初の日本一に貢献。日本シリーズでは15打数6安打、打率.400の成績を残し優秀選手賞を獲得。打率3割以上を6度記録した好打者で、球団歴代3位の1725安打を放っている。また63年にはオールスター史上初となるサヨナラ本塁打を放ち、球団初となるオールスターゲーム最優秀選手賞を獲得した。

DATA
1936年3月2日 179cm/79kg 左/左 平安高-明治大 
58~72年 1737試合 1725安打 109本塁打 479打点 打率.286
近藤 和彦
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No.03

MASAYUKI NAKATSUKA

広角打法で一番打者として活躍。70年のオールスターでは初回先頭打者初球本塁打を放った。74年に盗塁王を獲得し、通算164盗塁は球団歴代4位。横浜へ移転した78年にはプロ11年目にして自身初の打率3割(.317)を記録した。引退後はコーチ、スカウトとして球団に残る。89~92年には後に98年の優勝メンバーとなる進藤達哉、石井琢朗、鈴木尚典、三浦大輔らをファーム監督として見守った。

DATA
1945年6月29日 172cm/80kg 左/左 PL学園高-中央大 
68②~82年 1643試合 1440安打 61本塁打 387打点 打率.278
中塚 政幸
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No.04

AKIRA EJIRI

投手として入団するものの大学時代には投打両面で活躍していたため、プロ1年目は投手と野手の「二刀流」として過ごす。2年目の6月以降は野手に専念し、外野手登録となった67年にレギュラーに定着。左右に打ち分ける打撃と強肩でベストナインに2度獲得した。引退後はスカウト、コーチを経た後、92年5月には休養した須藤豊監督の後を受けてホエールズ最後の監督に就任。詩や俳句に造詣が深く、「柏人」という俳号を持つ。

DATA
1943年1月10日 177cm/80kg 左/左 日立一高-早稲田大 
65~79年 1485試合 1249安打 116本塁打 436打点 打率.271
江尻 亮
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No.05

KEIJI NAGASAKI

大学時代に東京六大学史上初となる2シーズン連続首位打者を獲得するなど、その素質に多くの首脳陣が惚れ込んだ。77年の春季キャンプで別当薫監督(当時)が元ヤンキースの強打者、ミッキー・マントルのようになってもらいたいとの願いから背番号を23から7へ変更することを提案し、「和製ミッキー・マントル」と称される。翌78年5月20日には横浜スタジアムでは球団初のサイクル安打を達成。82年には球団の日本人打者では初となる首位打者を獲得した。

DATA
1950年5月13日 178cm/80kg 左/左 北陽高-法政大 
73①~84年 1278試合 1108安打 133本塁打 459打点 打率.282
長崎 啓二
ENTRY
No.06

KANAME YASHIKI

高卒のドラフト6位入団ながら1年目から一軍出場を果たし、78年のジュニアオールスターではMVPに輝く。85年には高木豊、加藤博一に続くスーパーカートリオの3番打者として足だけでなく一発長打を秘めた打撃を披露。快足を生かした守備ではゴールデングラブ賞を5年連続で、盗塁王を86年から3年連続で獲得した。通算317盗塁は球団歴代2位。シーズンオフの「プロ野球オールスター大運動会」で行われる100メートル走では毎年1位に輝いた。

DATA
1959年6月11日 178cm/75kg 右/両 三田学園高 
78⑥~93年 1474試合 1136安打 57本塁打 370打点 打率.270
屋鋪 要
ENTRY
No.07

CARLOS PONCE

デビュー戦となった86年4月4日の阪神戦(横浜)で2本塁打、5打点を稼ぎ、前年日本一の阪神を降す活躍でファンのハートをつかむ。その風貌と明るいキャラクター、来日1年目から105打点を記録するチャンスに強い打撃は「スーパーマリオ」の様だった。87年は打点王、88年は打点王と本塁打王を獲得。デビュー年から4年連続20本塁打以上を放った球団の歴代外国人選手はシピンに続いてポンセが2人目だった。

DATA
1959年2月7日 180cm/80kg 右/右 南ジョージア大-ブルワーズ 
86~90年 533試合 601安打 119本塁打 389打点 打率.296
カルロス・ポンセ
ENTRY
No.08

TAKANORI SUZUKI

投手が繰り出す難球をいとも簡単に左右に打ち分ける「ハマの安打製造機」。規定打席に初めて到達した96年は、最終戦に欠場すれば打率3割を維持できたがそれを拒み、結果、打率.299に終わる。しかし、その悔しさから打撃に磨きをかけ、97年は打率.335で首位打者。98年も打率.337で球団史上唯一の2年連続首位打者に輝く。マシンガン打線の3番打者として日本シリーズではチームトップの12安打8打点、打率.480で最高殊勲選手を手にした。

DATA
1972年4月10日 186cm/88kg 右/左 横浜高 
91④~08年 1517試合 1456安打 146本塁打 700打点 打率.303
鈴木 尚典
ENTRY
No.09

TATSUHIKO KINJOH

高校、社会人と投手を務めていたがプロ入りを機に野手へ転向。2年目に「2番・三塁」に定着し、打率.346で首位打者を獲得すると共に球団では齊藤明雄投手以来23年ぶり、野手では桑田武選手以来41年ぶりに新人王に選出された。01年からは外野手に転向し、俊足を生かした守備でゴールデングラブ賞を2度受賞。セ・リーグ初となる3度の1試合左右両打席本塁打を記録。球団での通算1,627安打は球団歴代5位。

DATA
1976年7月27日 177cm/82kg 右/両 近大付高-住友金属 
99⑤~14年 1856試合 1627安打 103本塁打 582打点 打率.279
金城 龍彦

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